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「セントラル・ステーション」 大竹 洋子
1998年/ブラジル映画/カラー/シネマスコープ/ドルビーステレオ/111分 1998年第48回ベルリン国際映画祭金熊賞、銀熊賞、エクメニカル審査員特別賞 ブラジルの旧都リオ・デ・ジャネイロの中央駅。巨大な人の群れを行き交わせ、飲み込み、吐き出すために存在する。人々はそこを通過して働き、また家に戻る。単調な流れが繰り返され、人々は心を失う。 この無感動な駅の雑踏の中で、初老の女性と少年が出会った。女性の名はドーラ、構内の一隅で店を開く代書屋である。元教師のドーラは、読み書きのできない客に代わって手紙を書き、1ヘアル(約100円)を受け取る。投函もする場合はさらに1ヘアル。そんな客たちの間に、少年ジョズエと母のアナもいた。 もう何に対しても心を動かすことがなくなったドーラにとって、客から預かった手紙はバカバカしいだけである。家に帰るとドーラは手紙を選り分け、その大半を捨ててしまうのが常だった。まだ見ぬ父に会いたいというジョズエの手紙も、そうやって捨てられる運命にあった。ところが翌日、思いがけない事件が起きた。再びやってきたアナが、ドーラの目の前で交通事故にあって死んでしまったのである。 行く当てもなく構内をうろつくばかりのジョズエに、ドーラの好奇心が動いた。ドーラはジョズエを里子に出す面倒をみてやって、かなりの斡旋料をもらった。だが、それが養子縁組ではなく、子供を殺して内臓を売買するためのものであることをドーラは知る。ドーラの命がけの救出が成功した。斡旋業者の手を逃れ、リオから南部へ、ジョズエの父親を尋ねる二人の旅が始まる――。 昨年の12月、キューバのハバナで行われた第20回新ラテンアメリカ映画祭のオープニング上映で、私はこの作品をみた。3000人を収容するカール・マルクス劇場を埋めつくしたキューバ人に一番受けたのは、一文無しの二人が、旅先で店開きした代書屋のシーンだった。巡礼者が陸続と集まる村祭りの夜、人込みの道端でジョズエがいきいきと叫ぶ。手紙だよ、1ヘアルだよ。客が次から次へと押し寄せ、ドーラはせっせと手紙を書く。ここで観客は大爆笑、大喝采だったが、日本に帰ってすぐに行った試写室では、この場面は静かなままだった。一般公開になった時の反応を知りたいと思う。 嘘つきで身勝手で、でも孤独なドーラを見事に演じたブラジルのベテラン女優フェルナンダ・モンテネグロは、国際的に評価されていくつもの賞を得た。ドーラが“忘れていた心”を取り戻し、新しい人生を歩くきっかけとなる少年ジョズエ役には、ヴィニシウス・デ・オリヴェイラが抜擢された。空港で靴磨きをやっていたというオリヴェイラ少年は、すっきりした肢体の持主で、10歳ながらそこはかとない色気があり、匂うような抜群の演技力である。ハバナでは、モンテネグロの主演女優賞と共に、彼にも特別賞が贈られた。 都会から地方へ、バスやトラックを乗り継ぐ二人の前に、感傷をはさまない雄大なブラジルの風景が広がる。ロード・ムービーの醍醐味である。ヴァルテル・サルサ監督は、貧困、低識字率、家族離散、移民、宗教など、ブラジル社会が抱えるさまざまな問題を提起する。ドキュメンタリー出身で、これが長編劇映画の第一作にあたるサルサ監督は、為政者によって与えられた国家のイメージは、自分たちの現実とはほど遠いものであることを見極めよう、そして質素で思いやりのある人々が住むもう一つの国を発見しよう、と呼びかけるのである。 ようやく探しあてた家に父はいなかった。しかし、ジョズエは二人の異母兄に会うことができる。大工の兄は、ジョズエに独楽を作ってくれた。それは映画の冒頭でジョズエが落とし、それを拾おうとして母が車に跳ねられたあの独楽と同じものだった。ドーラはジョズエを残してそっと去る。ドーラを乗せたバスを、ジョズエがいつまでも追いかける。 悲しいけれど、未来の力を感じさせるよい映画である。新しい世紀への懸け橋の役目をはたすこのような作品が、これからもどんどん生まれますように。 恵比寿ガーデンシネマ(03-5420-6161)で上映中 このページについてのお問い合わせは次の宛先までお願いします。 |