2002年(平成14年)9月1日号

No.190

銀座一丁目新聞

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花ある風景(104)

 並木 徹


 スリに財布をすられたことがある。古い話で、昭和23年の暮れ、山手線の中である。スリで言う「箱師」の手口である。うかつにも財布をズボンの後ろポケットにいれておいた。これでは、すってくれといわんばかりである。金額は千円足らずであった。それでも痛かった。お役人の給料が6370円ベースであり、映画入場料40円、ハガキ2円、封書5円の物価状況であった。
 警視庁記者クラブ時代、捜査三課のスリ係の刑事に、親分から弟子入たちがいかにして手先を強くし、器用な技術を身につけ、スリの教育をされるか説明をよく聞かされた。ここだけの話だが、そのころ、腕にはめている腕時計をすれるまで上達した。昭和25、6年頃である。自由にデカ部屋をまわれたころの、のどかな時代の話である。
 ものの本によると、元禄年間の坊主小兵衛は、スリの名人で、人の腰巻やふんどしまで掏り取ることが出来たという。有名なのは仕立て屋の銀次こと富田銀次である。『警視庁史』明治編に面白いことが書かれている。
 「水戸の観梅が東京で流行物のひとつとなって、毎春早々上野駅が雑踏するを常としたが、当時知名の紳士が時計をすられた。下谷警察署(現上野)では捜索に困って銀次に相談すると、たちどころに30個ばかり並べた。もちろんその中から紳士の時計が出たというわけで、署長は大変喜んだのです」
 銀次は家作、60軒を持ち、下谷の金杉の大邸宅に住み、子分百数十名をかかえてていた。明治42年6月、8名の主だった子分とともに捕まった。盗品1万8千点にのぼった。これを連日、演武場に陳列して被害者が現れればすぐに返して大いに喜こばれたという。昨今は名人芸のスリの話を聞かなくなった。

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