第二次大戦のサイパン島を舞台とし、ナバホ族の通信兵と彼を護衛する海兵隊員の心の葛藤を描いた映画を見た(7月29日・日本記者クラブ)。ジョン・ウー監督、ジョン・ライス、ジョー・バッター脚本の映画「ウインドトーカーズ」である。
日本兵がやられる場面がしばしば出てくる。ここでは日本軍(守備隊は4万3582人)は玉砕した。日本側の戦死者、41244名、民間人の死亡者は自殺者も含めて8000人から1万人(在留邦人2万人)、米軍側3441名であった。胸が痛くなる。サイパン島では昭和19年7月6日、中部太平洋方面艦隊司令長官、南雲忠一中将(海兵36期)、第43師団(名古屋、岐阜、静岡の予後備兵と名古屋師団の現役兵と混成して編成)の師団長斉藤義次中将(陸士24期)、31軍参謀長井桁敬治少将〈陸士27期〉が自決、南雲中将の玉砕命令には「「我ら太平洋の防波堤とならん」の言葉があった。日本軍は6月15日、米軍が島の南部、チャランカノア沖合いから上陸するまでに艦砲射撃と空爆で半数の兵力を失った。残存の兵隊をかき集めて7月7日午前3時を期して最後の突撃を敢行した。
この時のもようをアメリカ側は次のように伝える。
『午前4時ちょっと前、日本軍が来襲した。20分間白兵戦を交えたあと、米軍の陣地は蹂躙された。日本兵は数十名ずつ群れをなし、「ワッショイワッショイ」「ワアワア」と言う大声を張り上げながら押し寄せた。何十波という集団が押し寄せるので、殺しても殺してもあとをたたず、7日午後になっても、タナパクを中心に激戦が続けられた。8日には800名程度になったがなお頑強だ。・・・
9日になって日本軍の万歳攻撃はやっと終わった。そしてタナパクを中心として4311体の遺棄された日本軍の戦死体が散乱していた』(文芸春秋編完本・太平洋戦争上、「地獄絵図・サイパン島」師団参謀平櫛孝より)。
アメリカ軍の兵力はターナー提督指揮下の第2、第4海兵師団4万334人で600隻の上陸舟艇を使った(最終兵力は12万7571人)。サイパンをふくめてアメリカの海兵隊はガダルカナル、沖縄など18回の上陸作戦を行い、日本軍と死闘をくりひろげた。
この上陸作戦で、前線部隊を支援、援護するため軍艦や砲兵隊に日本軍の位置を知らせるのが通信兵の仕事であ。その言葉がそのまま暗号に使えるというので、ナバホ部族の者たち約500名が暗号通信兵(コード・トーカーズ)として訓練を受け、海兵隊員となった。しかし、捕虜になると、敵に暗号が解読されるおそれがあるので、万一の際には殺せとの至上命令が出ていた。
主人公のジョー・エンダース(ニコラス・ケイジ)はガダルナルで命令を遵守したために分隊に仲間を死に追いやった経歴をもつ。それ故にナバホ族の通信兵ベン・ヤージー(アダム・ビーチ)の護衛をいいつかる。上陸から3週間、サイパン戦の大詰めの戦いでエンダース、ヤージーらはたった4人となり、日本軍の重囲におちる。ガダルカナルと同じ状況であった。だが、エンダースの下した判断はきわめて人間的なものであった。
同じくナバホ族の通信兵チャーリー・ホワイトホース(ロジャー・ウィリー)とその護衛役、海兵隊員オックス・ヘンダーソン(クリスチャン・スレーター)が戦いの合い間にみせる縦笛とハーモニカの合奏は心に響き素晴らしい。
サイパンは日本の領土であり、日本の絶対国防圏の最前線であった。昭和天皇が東条英機首相に『東京空襲がしばしばあることになるから是非と確保しなければいけない』と厳命されたという。日本領土で多数の市民を戦火に巻き込み、多くの犠牲者を出した最初の戦闘であった。
映画は娯楽といいながら、複雑な気持ちにならざるをえなかった。戦争は記憶し、その実態を伝えねばならない。
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