向田邦子さんの言葉「ドラマでも小説でも、テーマがまとまらないとき、私は蕪村を読むのよ」(澤地久枝著「わが人生の案内人」より)に刺激されて手元にある蕪村の本を広げた。澤地さんがあげた蕪村の句。
身にしむや亡妻の櫛を閨に踏
「この蕪村の句も、ここからどのような夫婦の物語にも展開できよう。向田さんは自身の体験、周囲の多くの人たちへのこまやかな観察と会話からある典型を掴み、骨身を削るようにして作品を生んでいった」と澤地さんはしるす。
これは蕪村が62歳のときの作品である。意外にも蕪村の妻ともは健在であった。大學の先生で、俳人の復本一郎さんは「若い、成熟した白い女体の乱れ髪から櫛がポトリと落ちる瞬間が一句から二重写しとなって浮かび上がってくる。その美しい女体を持った妻も、もはやこの世の人ではないのである」と解説する(「江戸俳句夜話」より)。
復本さんの本によれば、蕪村は6年後(1783年)にこの世を去るが、そのあと妻のともは尼として31年も生き長らえたという。この句がもとで妻との間にひと悶着が起きる。高いものについたようである。このような句を作られては、誉められているのか、早く死ぬのを望んでいるのかわからないではないか。もともと、蕪村は愛妻家であった。こんな句もある。「花鳥の中に妻有ももの花」。私などはただただ感心するばかりである。
鮒寿司や彦根の城に雲かかる
一見平凡のような句にみえる。そうではない。恋情の句である。藤田真一著「蕪村」(岩波新書)には「舌鼓をうって鮒寿司を口にしている人物が、ふと見上げたところに雲がかかっていた。その雲に恋情をもよおしたのだ。かれは今夕の逢瀬を思って、思わずにやついたことだろう」とある。
これには漢詩の素養を必要とする。「朝雲暮雨」のいわれを知ればたちまち氷解する。蕪村がこの句を作った時、その意味がわかったのは、几董ひとりだけであったという。蕪村は芭蕉とならび賞されただけにその句は味わい深い。
(柳 路夫) |