2002年(平成14年)7月1日号

No.184

銀座一丁目新聞

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お耳を拝借(52)

-感性の違い

芹澤 かずこ

 

 ウエットとドライと言う方が判り易いかもしれない。人の性格というのはそれほど違う。それも他人ではなく同じ家庭に育った兄弟でも言える。人は、おぎゃーと生まれたその瞬間がすべて同じスタートではない。遺伝子然り、環境然り、性別然り。
 現に、一姫二太郎の3人の子供を育ててつくづくとそれを痛感した。長女はウエットとドライの中間派だろうか。いわゆる夢見る夢子さんタイプではないが、読書量も多く感性も豊かだ。年子の弟がいたせいかしっかりもののお姉ちゃんで、あまり手がかからなかった。運動は特に得手ではないが、スイミングクラブにはよく通い、スキンダイビングなどもこなしていた。結構気が強く、マイペースなB型。誰とでもすぐ打ち解けるし、学生時代は男子の多い射的クラブのマネージャーを勤めたり、ガールスカウトの指導員の資格を取って、障害者のパラピンピックの手伝をしたりしていた。あの、阪神大震災の時に、子供が乳呑み児でなかったら、すぐにでも出掛けていたことだろう。とにかく実践派で、今を楽しむことをよく知っている。
 それに比べて長男は、総領の甚六でおっとりしていた。覇気に欠しいのではないかと心配したほど外で遊ばず、お姉ちゃんのままごとにばかり加わっていた。運動が不得手で縄跳びもローラースケートも自転車の乗り方も一人では会得できず、夕方こっそり特訓をした。水泳も嫌いだったし、男子校の必修科目の柔剣道のある日は憂鬱な顔をして登校した。その頃、テレビで活躍している人が苦労話の中で「泣きたいときにはトイレや押し入れで泣いた」という話を聞いて、皆がしゅんとしている時、長男だけはどうして隠れて泣くのか理解できなくてげらげら笑っていた。その割にシャイで人に甘えるということが気恥ずかしくて出来ない。血液は典型的なA型。
 次男は全く違っていた。末っ子の特権で甘えん坊だが、運動は得意で野球・水泳・スキー・テニスと何でもござれ。ラグビーだけは肩に骨肉腫ができて手術を受けてから出来なくなった。気性もやや激しいが頑張り屋だ。小学校の時、何がきっかけだったのか、ひと夏、朝刊の配達のアルバイトを、自分で起きて一日も休むことなくやり遂げた。ボーイスカウトでも課題をどんどんクリアして、制服は記章だらけだった。一見、無骨のようだがなかなかのウエット。情にもろくやや感傷的でさえある。20世紀から21世紀へ世紀が変わ るその瞬間に居合わせたことにも感動していた。血液はAB型。日韓共催のワールドカップの開催中も仕事で韓国へ出張中であったから、あのテレビで放映された熱気の中に加わって応援に余念がなかったことだろう。
 長女も子どもたちと地球儀で出場国を探しながら、すっかりサッカーにはまって一喜一憂していたと言っていたが、長男は皆が見てなにやかや言うから見るに過ぎない、別にどちらの国が勝とうが負けようが自分に関係のないことには何の興味もない、と言う。例え日本は中途で敗退したとはいえ、開催国であり、決勝リーグの白熱の競技が目前で展開していたというのに、ドライの最たるもの。我が息子ながら何と面白くない奴!



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