花ある風景(98)
並木 徹
ギリシャ神話には興味がある。人間の深層心理を描いている面があるからであろう。地獄に落とされて、永遠の労役を背負わされたシジフォスの話は面白く、教訓的でもある。重い岩を山頂まで運んだと思ったらその一歩手前で転げ落ちてしまう。それを繰り返しやらせられる。人の一生も同じような気がする。
演劇集団「円」の公演、ジャン・ジロドゥ作・鬼頭哲人訳・前川錬一演出「エレクトル」がギリシャ神話の王女を扱っているのでみた(6月11日、東京・新宿、紀伊国屋ホール)。筋を紹介する。トロイを攻略したギリシャ軍の總大将アガメムノンは10年にわたる遠征を終えて、アルゴスに凱旋する。従弟のエジスト(井上倫宏)は、王妃クリテムネストル(唐沢潤)とはかり、アガメムノンを浴槽内で刺殺する。以後7年間、エジストは摂政としてアルゴスに君臨する。アガメムノンの子オレスト(谷川俊)はそれ以前に国外の親戚に預けられており、娘のエレクトル(高橋理恵子)は心に激しい復讐の念を秘めたままオレストの帰りを待ちわびる。やがて成人したオレストが帰国し、エレクトルは彼を励ましテエジストとクリテムネストルを殺させ父王の復讐をとげる・・・
お芝居の圧巻は王妃クリテムネストルと娘エレクトルとの間に交わされる会話である。母えの憎しみが彼女を今日まで支えてきた。それは愛されたいという強い欲求の裏返しでもある。一方死んだ父親の思い出も娘を支えてきた。優しく手を出す母親を受け入れるのは、なき父をほんとうに失ってしまう気がして怖い。寛容さは、愛されて育っていない娘には無理である。しかし、前川演出は「許すというのは何かをうしなうことではない。過去ばかり目を向けないで、前を向いて生きてください」と訴えている。
神話の筋を続ける。殺された父の仇を討つのは義務である。しかし、母親を殺すことは神人ともに許されない大罪である。オレストは諸国を放浪し発狂する。一説では法廷の裁きを受け、罪を許され、潔白の身となるという。ユングの心理学的解釈によれば、親殺しは子供の自立を意味する。何事も親に依存する気持ちを振り捨てて飛躍・自立する子供を象徴するというのである。なるほどと思う。
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