2002年(平成14年)6月1日号

No.181

銀座一丁目新聞

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競馬徒然草(12)

−ダービーの記録− 

 今年(2002)のダービーについて、若干のことを記録に留めておきたい。ダービーが「競馬の祭典」と表現された時代もあるが、この言葉も最近は使われなくなっている。競馬に限らず、あらゆる分野で「祭典」という言葉は消えてゆくのだろうか。
とはいえ、競馬の世界では、3歳馬の頂点を決定するダービーが最大のレースである。競馬のレース体系は、ダービーを頂点とするクラシックレース中心に構成されている。日本のダービーは、近代競馬発祥の国イギリスを倣って創設されたものだが、本場イギリスほどの華やかさはない。伝統と文化の違いである。それでもファンの盛り上がりを見せたのは、喜ばしいことと言っていい。
そのダービーは、武豊騎手騎乗のタニノギムレットが優勝した(2分26秒2)。武豊騎手については、この前『重傷からの復活』で驚異的な回復・復帰を記したが、ダービーまでも制したことは特筆に価する。前走(NHKマイルC)は馬群に包まれる不利があって3着に敗れたが、今回はうまく外に持ち出して後方一気の伸び、けた違いの強さを見せた。武豊のダービー3勝は前人未到の記録(98年スペシャルウィーク、99年アドマイヤベガ)。松田国英厩舎はダービーはもちろん、クラシック初制覇。「タニノ」の馬で知られる馬主の谷水雄三氏にとっては、先代(谷水信夫氏・故人)のタニノハローモア(1968年)、タニノムーティエ(1970年)に続く3頭目のダービー制覇。
優勝馬タニノギムレットの父はブライアンズタイム。血統的なことに触れれば、ブライアンズタイムの産駒のダービー優勝は、94年ナリタブライアン、97年サニーブライアンに続き3頭目。なお、タニノギムレットは、「シンザン記念の勝ち馬はクラシックを勝てない」というジンクスを初めて破った。これで関西馬のダービー優勝は5年連続。関東馬は2着(シンボリクリスエス)、3着(マチカネアカツキ)で、ともに藤沢和雄厩舎の所属。悲願のダービー制覇の夢は今年も成らなかった。
武豊の記録について付け加える。今年のダービー優勝で、GTレース通算37勝。重賞レースは160勝。関東のベテラン岡部幸雄騎手(53歳)の重賞勝利数は159勝。これを遂に抜いたわけである。引退も近いと見られる岡部騎手に比べて、20歳も若い武豊騎手(33歳)のことだ。今後、どこまで記録を伸ばすだろうか。
レースの記録を離れたことでは、小泉首相がダービーを観戦して話題になった。現職首相のダービー観戦は、昭和33年(1958)の岸信介首相(当時)以来44年ぶり、2人目。岸首相のときのことは分からないが、小泉首相は枠連の馬券(2−6)を当てたそうだ。「今日が26日だから」と。こんな買い方でも当たるのだから、競馬は楽しいのかもしれない。小泉首相は、「一国の宰相になるより、ダービーのオーナーになる方が難しい」(チャーチル)という言葉を引用して、「そんなレースに3度も勝つなんて大変なことだね」と、武豊に感服。そして、「何事も夢と希望とロマン、これが大事だ」と、競馬ファンにメッセージを贈った。
この言葉も記録に残るかもしれない。

(宇曾裕三)

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