競馬徒然草(5)
−季節の移ろい−
「季節の移ろいは早い」などと書けば、人によっては、芭蕉の『奥のほそみち』を思い浮かべるだろう。また、鴨長明の『方丈記』を挙げるかもしれない。日本人の「時」というものの捉え方には、欧米人と異なる、日本人独特のものがあるようだ。
暦はすでに3月である。3日には雛祭(桃の節句)があった。その雛祭について、少し記してみる。遠い平安時代の昔には、女の子の成長を願い、災厄を祓う祭があった。それが子どもの遊びと合体して雛祭になった。雛人形主体の節供(節句)になったのは、江戸時代も家光の頃からで、都市から地方へ広まったのは中期以降といわれる。将軍家息女の輿入れの際にも、豪華な雛飾りを持参したようで、徳川美術館に所蔵されている。興味のある方は、ご覧いただきたい。
3月3日という日について、話題を変えたい。いささか古い歴史に触れれば、まず、慶長8年(1603)の3月3日、東海道など諸街道の起点となる日本橋ができている。安政元年(1854)3月3日には、幕府と米国使節ペリーとの間で日米和親条約調印。世はまだ激動の時代であり、6年後の万延元年(1860)3月3日には桜田門外の変。井伊直弼大老が水戸浪士らによって暗殺された。明治に改元(1868)される8年前のことである。
もう少し明るい話題はないか。眼を転じて時空を飛翔する。ヒントを与えてくれたのは音楽好き。物知りもいるものである。ビゼーの歌劇『カルメン』(原作はメリメの小説)の初演が1875年(明治5)3月3日なのである。『カルメン』には面白いエピソードがあるので、ついでに紹介する。ただし、初演とは別のときのことである。ヒロインのカルメンがドン・ホセに刺されるクライマックス。刺されたカルメンが倒れない。劇中に本物の馬を使っていたところ、緊張していた馬が粗相をしてしまった。カルメン役のオペラ歌手は、刺されて倒れたくても馬糞の上には倒れられなかったそうである。歌手もウンが悪かった。
とんだ馬の話が出たところで、話題を真面目な競馬のレースに移す。3月3日には、中山で「弥生賞」(GU・皐月賞トライアル)が行われた。勝ったのは関東のバランスオブゲーム。「西高東低」といわれる中で、関東馬の勝利は異変に近い。しかも、3連勝中のローマンエンパイア、ヤマニンセラフィムといった関西馬2頭を破ってのものである。これで「皐月賞」(GT・4月10日)への優先出走権を獲得した。
ところで、レースを舞台に例えることがある。「晴れの舞台」などと。その舞台で、競走馬はどこぞの馬とは違い、糞などはしない。いかに緊張しているとはいえ、そんなことをしている暇はない。嘘と思うなら、レースをとくとご覧あれ。
季節の移ろいを感じながらも、無常観に浸っているわけにもいかないものがある。暖冬のせいで、早くも桜の開花予想が伝えられるこの頃である。 (宇曾裕三) |