陸士の同期生の一人、杉原 敏彰君(北九州市在住)が昨年12月に亡くなった。数年前に離婚して一人暮らしであった。そのため、死亡の発見が5、6日おくれた。後始末は連絡を受けた同期生がとりしきったという。
杉原君とは毎日新聞西部本社在勤中、2、3回会っており、名刺の肩書きには著述業とあった。後に彼の著書「牧野校長と振武台」(昭和61年5月発行)を頂いた。還暦祝いに何か残しておきたいと考え、陸士59期生の共通の思い出は牧野四郎校長であり、振武台である。そう思って本を出したのであった。
筆者にはそのよう考えは全く浮かばなかった。すでに、マスコミ関係の本を共著を含めれば5、6冊の本を出しており、仕事も忙しかった。
牧野校長は大東亞戦争のさなかの昭和19年3月第16師団長として、比島に出征、20年7月レイテ島で戦死された。「花も実もあり血も涙もある武人たれ」という教えが今なお頭に残っている。
この本のあとがきに「還暦を迎えたからと老け込む理由は何一つない。人生には定年はないのだ。しかし、もうアクセルを踏む年ではない。ブレーキを静かにかけらがら、これからの高齢化社会に一員として美しく生きてゆこう」とある。それから15年、杉原君は心不全で心ならずも、76歳でこの世をさった。
老いとは理想を失った時に来るものと思っていたから、あまり、「老い」について考えなかった。杉原君の死はそろそろブレーキをかけ始めなければいけないかなというシグナルのような気がする。たしかに、出不精になった。電車に乗れば、すぐ座りたくなる。朝いつまでもふとんの中にいたい。若くはない。集中力もなくなった。
このため、一週間の日程表を作り、月曜日から日曜日までのやるべき事と出席する行事を書き込む。それと、毎朝、メモ帳にその日の行動を書く。自らをやるようにしむけるのである。読書は同時に3、4冊読み始める。健康法は毎朝、冷水摩擦、柔軟体操、竹ふみ100回をやる。できるだけ歩く。8000歩から1万歩。目標は120歳。友人たちにそういっていたが、昨今、とみに自信がなくなった。「老い」を意識しだしたからであろうか。
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