安全地帯(3)
−電柱のない町−
−真木 健策−
少江戸と呼ばれる城下町、川越市(埼玉県)の仲町から札の辻まで460メートル間には、電柱が一本もない。電柱のないのはこの区間だけだが、昔懐かしいガス灯が設置されており、なかなか情緒がある。
130軒の店が並び、一番街と名づけられている。蔵の町ともいわれ二階建ての蔵造りの建物が多く、その一階で店をひろげている。亨保年間(1716−1735)のころ、幕府が防火建築として土蔵造りを奨励したのが始まりという。
平成4年、建造物保存と安全性、美観のために電柱を撤去、地下配線にした。一日四回時を告げる「時の鐘」の建物は市のシンボルとして有名。名物イモ菓子や菓子屋横丁などがある。年間約400万人の観光客が訪れるがほとんどがこの地区に足を運ぶ。
電柱があるのとないのでは、ずいぶん風景がちがう。木曽路の宿場町、妻籠、馬籠も電柱は一本もなく、昔の宿場町を再現させている。
文献を調べると、明治4年9月の英文「ジャパン・ガゼット」が「近来伝信線架設のために、横浜小田原間の並木を切り払いし無知乱暴を戒める」とする記事を載せている。このころは多少まわりの環境に配慮する雰囲気があったのであろう。ともかく、全国に電線網を張る時代で、並木の枝を利用して、それに碍子を取り付けて間に合わせたという例もあったという。
電柱の広告利用は明治23年8月に始まっているから、日本人の利便性の追及はすざまじい。町の情緒とか美観といった事はあまり考慮されなかったのであろう。もう時代は変った。 |