2002年(平成14年)3月10日号

No.173

銀座一丁目新聞

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競馬徒然草(4)

−行く人、来る人− 

 3月といえば、まず何を思い浮かべるだろうか、いまの若い人はいざ知らず、古い人なら「卒業式」ではないだろうか。中村草田男の俳句にこんなのがある。
   「校塔に鳩多き日や卒業す」
 明治34年(1901)生まれの草田男の育った時代は、いまよりずっといい時代だった。その後の暗い時代を生きるほかなかった人々には、また別の感慨があるだろう。だが、卒業式というものには、なぜか胸をせつなくさせるものがある。
 反面、卒業は晴れの門出でもある。競馬の社会でも、8人の騎手免許試験合格者が発表された。競馬学校の騎手課程卒業生で、いずれも17歳から19歳の若者。早くも、抱負として目標の騎手を挙げるなど頼もしい。なかでも注目を集めたのは南井大志君。父は現役時代にナリタブライアンでクラシック3冠を制した南井克己調教師。「父を超えたい」という。父の後を継ぐ若者の登場で、語り伝えられる物語の生まれることを期待したい。ところで、騎手になるのは難しいようで、卒業生10人のうち2人が騎手免許試験に不合格。来年、再挑戦するという。
 新規調教師も6人誕生した。こちらのほうは、いずれも調教助手出身。最年少で34歳、最年長で40歳。もちろん1回の受験で合格というケースはなく、最高は13回目の念願達成。競争率37倍は、文字通り難関。騎手出身の合格者はなかった。
 かつては騎手出身の調教師が多かった。現役時代に1000勝以上を記録した騎手には、1次試験が免除された時代もあった。だが、そうした特典も撤廃された。学科試験も社会問題から関連法規まで含まれるというから、いかに活躍した騎手といえども、調教師への転進は厳しい。
 去年引退した安田富雄騎手などは、その後どうしているだろうか。現役時代は度々の怪我に悩まされながら、758勝を上げた。北は札幌競馬場から南は小倉競馬場に至るまで、中央競馬の全競馬場(10カ所)重賞初制覇という快挙も成し遂げた。しばしば穴をあけ、「穴の安さん」「トミー」の愛称で親しまれた。だが、怪我と体力の衰えには勝てず、ターフを去った。騎手に定年はないが、最年長53歳の踏ん張りは近年になく、「見事」の一言に尽きる(騎手生活34年)。
 さて、話題を調教師のことに戻す。新規調教師免許を取得した6人のことだが、開業時期は「全くメドが立たない状況」という。実は昨年合格した4人も開業待ちの状態で、開業は最長4、5年先といわれる。トレセンに馬房数がなく、開業したくても厩舎を持てない厳しい状況にある。なぜ、このような状況になったか、それは後日に譲りたい。
 昨年8月、名ジョッキーとしても知られた野平祐二調教師が病気のため他界した(享年73歳)。長く「祐ちゃん」の愛称で呼ばれた。名馬シンボリルドルフを育て上げた。競馬を親しめるものにした功績は大きい。その存在が去り、「寂しくなった」と嘆くファンも少なくない。
 記憶の中にも去来する人のいる季節である。

(宇曾裕三)

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