2002年(平成14年)3月1日号

No.172

銀座一丁目新聞

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花ある風景(86)

 並木 徹

 久し振りに小塚昌彦さんの名前を新聞で見かけた(2月17日、毎日新聞)。「ひと」の欄に登場した。この人は「小塚明朝」の創作者として有名である。73歳のいまもなお、日本の近代活版の創始者、本木昌造の書体復元のプロジェクトに取り組むそうである。
 小塚さんを知ったのは、昭和51年3月、ロッキード事件のさなかである。米上院外交委多国籍小委員会が児玉誉士夫受け取りの46枚の領収書があることを公表した。46枚の額面金額を総計すると、17億2434万円になる。児玉がロッキード社から大金を受け取ったことを示す証拠になるものである。そこで社会部の板垣雅夫記者と中島健一郎記者が領収書の徹底分析取材をすることになった。
 その過程で毎日新聞に活字の権威者がいるのを知った。それが小塚昌彦さんであった。板垣記者はその時、日本の活字は中国から輸入して、毎日新聞が始めて使用したこと、日本の活字の歴史は毎日新聞と共にあるのだと聞かされ、己の不明を恥じた。
 小塚さんは領収書の児玉誉士夫のゴム印を見て「こんなに古い活字は珍しい。『児』は活字ではなく手彫りのものかもしれない。とにかく、戦前の物か、あるいは、現在、外国で使っている活字ではないか」と診断した。
小塚さんの紹介で鑑定してもらった佐藤敬之輔さんの話でも、児玉誉士夫の活字は、「児」ー手作りの木版であるほか他の活字がいずれも戦前の製造であり、ロサンゼルスかサンフランシスコで製造されたのではないかということであった。
 この取材結果は3月8日の毎日新聞の一面と社会面で大きく報道された。東京地検の首脳は「傾聴に値する」と誉め、当時話題をよんだ。これも小塚さんのおかげであった。「毎日新聞を読めば、ロッキード事件がよく判る」といわれたのも小塚さんをはじめ有形無形の人たちの応援があったからである。
 どの企業でもそうだが、地味ながらひとつのことをコツコツと研究、調査、製作をつづける人材がいる。その人たちが企業を支えているのである。

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