2002年(平成14年)1月10日号

No.167

銀座一丁目新聞

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横浜便り(25)

分須 朗子

−短い物語 「円」 3−

 小さな丘の上に立ち、彼と彼女は、あてもなく東の空を眺めている。横浜の町は闇の静けさに包まれたままだ。二人は、一年の初めの日に、夜が明ける瞬間を待っている。
 「なんで、黙ったままなんだ?」
 「ごめんなさい」
 「なんで、謝るんだ?」
 「黙っていたいから・・・、ごめんなさい」
 「言いたいことがあるなら言えよ」
 「黙っていたいって言ってるのに、言いたいことがあるって、なんでそう思うの?」
 「だって、黙ってる時は、いつも最後に爆発するでしょ。文句がこんなにあったのか、ってくらいに」
 「文句じゃないです。悪口です」
 「・・・だから、言いたいことは言えよ」
 「言わない」
 「言えってば」
 「言えないよ」
 「なんで、言えないの?」
 「あなたの悪口を言うんだよ?きっと怒るもの」
 「怒らない」
 「そう言って、いつも怒るもの。それに、言い出したら爆発しそうです」
 「なら、よっぽど早く言った方がいいよ。そうしろって」
 「そうかな?」
 「そうだよ。だから、思い切って言えってば」
 「それなら・・・、今から、私は、あなたの悪口を言います。いいですか?」
 「あ、ちょっと待って」
 彼は、彼女の手を取って、つないだ。
 「どうして、手をつなぐの?」
 「いいんだ、つなぐんだ」
 「もしかしたら、ケンカになるかもしれないのに?」
 「だから、つなぐんだ」
 「手をつないでケンカしないよ?ふつうは」
 「いいんだ、ふつうじゃなくても」
 「はい・・・。では、いいですか?」
 今度は、彼女が、つないだ手をぎゅっと握りしめた。
 「あ、今、ぎゅっと握っただろ?」
 彼の言葉に、彼女は鼻白んでしまう。
 「だめ?」
 「悪口言うって時に手を握り返さないよ、ふつうは」
 「うるさいな、もう・・・。いいんです、ふつうじゃなくて」
 「それで?早く言えよ、俺の悪口」

 空が白み始め、遠くの地平線に山の端が浮かび上がる。焼けるように赤い太陽が地球を照らし出し、二人は、じりじりと昇っていく円い大きい姿に圧倒される。
 「今年も、良い年でありますように」
 彼が慌てて言った。続けて、彼女も言った。
 「今年は、彼の悪口を言いませんように」
 二人は、互いの言葉を追いながら、願いを重ねた。
 「悪口は少しずつ言ってくれますように」
 「悪口を言われても平然としているところが直りますように」
 「平然となんかしていないですが、直す気はありませんと、彼女が分かってくれますように」
 「ケンカになりませんように」
 「ケンカしても、つないだ手を離すことはないように」
 ランドマークタワーの先端をまとう霞が、朝の日差しに溶けていく。銀色のビル群に反射して輝く陽光が、飛沫のように散りばめられる。
 「心の手は、両方つないでいるように」
 彼女の願いに、彼が首をかしげた。
 「どういうこと?」
 「両手をつないで向き合っていれば、まぁるい心になれるのです。気持ちがゆたかになって・・・円満です」
 彼女の言葉に、今年最初の二人の難局を切り抜けたと感じた彼は安堵した。と同時に、彼女に対して、なんだか意地悪なことを言いたくなった。
 「それで?早く言えよ、俺の悪口」
 「ほら、また、そうやって・・・」
 彼女は大分むっとしたけれど、つないだ手は離さないようにした。



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