2002年(平成14年)1月10日号

No.167

銀座一丁目新聞

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花ある風景(81)

 並木 徹

 大きい、小さいの違いはあっても、危機のさいの対処の仕方ほど難しいものはない。ともかくパニックになって何をしてよいのかわからないからである。また自分のところには災害は降りかかってこないだろうと安易に思い込んでもいる。神戸大地震(平成7年1月)の後、身の回りの物、当座の食品などをリュックにつめて、枕もとにおいて寝たが、そのリュックはいまや物置である。それでも年に一度、中味をあらためている。
 暮れに岩波ホールの小泉美奈子さんに会ったら「この時期になるとあなたのことを思い出すのよ」という。一年に一度とは情けない。10年ほど前、冷蔵庫が故障して、お客さんに出す料理をどうしようと、パニック状態になっていた時、筆者がたまたま現れた。すると、懐から財布を取り出して、「故障したのなら冷蔵庫を買ってきたら・・・」とこともなげにいったそうだ。そこで、小泉さんはハッと思いついた。「氷を買ってくれば急場はしのげる」と皆で氷を買い込んできて助かったという。あれから10年、私の懐には当時の十分の一ぐらいのお金しかない。
 社会部のデスク時代、大事件がおきると、私は何をすべきか、思いつくままにメモに書いた。それを優先順位をつけて大事なものから手をつけた。現場に出す記者の数は、陸軍の1分隊は12名だから1人の記者が処理できる人数は10名前後と見て割り出した。たとえば、50人の死者が出た現場ならキャップ1人に記者5人をだした。失敗したのは一度もない。
 スポニチ登山学校の連中と雑談していた時、「遭難のさい、どうしたらよいのか」という話になった。私は第二次大戦の海軍の名パイロット、坂井三郎さんの教訓を思い浮かべながら「先ず、ちじみあがっている金玉をしっかり取り出すこと(女性の場合は深呼吸を2、3回する)、次いで絶対あきらめない事だ」といった。気持ちで負けていたら助かる命まで失う結果となる。
 危機の時は最善策でなくとも、次善の策でもいいから手をうてばいいそうである。そうすれば道は開ける。テロに襲われたらどうするか。日ごろえらそうなな口をきいているのにあわてふためくかもしれない。その時はその時である。日ごろの所作がそのまま出る。

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