2002年(平成14年)1月10日号

No.167

銀座一丁目新聞

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茶説

社会の動物化は昔も今も変わらない

牧念人 悠々

 先日、東武東上線のある駅で、10人ほどの男子高校生が電車に乗る際、ドアが開くと同時に車内になだれ込み、我先に座席の取り合いをした。周りにいた乗客は唖然としていた。周囲の視線とか迷惑などを全く気にしない風情である。動物さながらである。
 切れた少年や若者が無差別に何人もの人を殺傷する事件が起きるが、これも凶暴な動物の仕業とみれば、理屈がつく。躾られず、我慢することを教えられず、気ままに生き、欲求のおもむくままに育てられれば、動物となんらかわるところがない。
 むしろ、昨今は動物に見習うべきかもしれない。動物たちの親子の絆は強い。子どもが独り立ちするまでは親の責任として生きるのを助ける。人間のように、いじめたり、虐待したりはしない。
 自分について書く。大阪で、小学校に上がる前の話だと記憶する。近所の子供5、6人と枯草の茂る原っぱに遊びに出かけた。枯草が邪魔になるというので、大きな円をかきこの範囲の枯草を燃やそうと、火をつけた。ところが、折からの強風にあおられて燃えさかった。大きな円どころではない。原っぱ全域に広がり、大阪、京都間の電車まで停めてしまう大騒ぎになった。私たちは怖くなって一目散に逃げ帰った。さすが警察である。すぐに私たちを割り出し、きついお灸をすえた。もちろん新聞沙汰にもなった。イタズラ子鼠の大失敗というところであろうか。このほか、万引も、畑のキュウリを盗み食いもした。それなりの悪さをしている。このころ子供を「風の子」と言った。
新聞を見ると、戦前、小学校でも中学校でも生徒による先生への暴力事件が起きている。かなりひどい悪さをしている。
 もともと人間は動物である。高尚な動物と思うのは人間のおごりである。他の動物と違って知恵はある。新幹線や宇宙船などを作り出す科学技術はますます発達進歩するが、いくら勉強しても教養をつんでも、動物的本能を消しされない。だから煩悩がおきる。それが百八つもあるというのである。今の時代が動物化の方向へ進んでいると指摘する哲学者もいるが、昔も今もそんなに変わらない。ただ、「幼稚化」と「未自立化(いつまでたっても自立しない)」が目立ってきているといえる。
 「閑吟集」という室町時代に出来た小歌(こうた)集がある。1518年の作だから今から483年前である。ここに「何せうぞ くすんで 一期は夢よ ただ狂え」の歌がある。解釈すると「まじめくさって生きたところで、なんになろう。所詮、人生は夢よ。ただ面白おかしく遊び暮らせ。狂ったように」となる(黒瀬f次郎著「煩悩万歳」による)。時代が大きくその時代に過ごす人々に影響しているのではないか。テレビでニュースを面白おかしくあつかい、ワイドショーでは、セックス談義が露骨におこなわれ、愚にもつかないだじゃれがとびかう昨今である。それなりの人間が育ってゆく。
 一面、今の時代だからこそ哲学が、芸術が、文学が盛んになってほしいという気がする。1割でいい。「人間は何のために生きるのか」と、考える人がいてもいい。人間の世界はそんなことでバランスをとっているのであろう。

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