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「ラスト・ゲーム」 大竹 洋子
1998年/アメリカ作品/ヴィスタ/ドルビー・デジタル/134分 天才的なバスケット・プレイヤーとして、全米の注目を集める高校生のジーザスは、大学か、プロのNBA入りか、“人生で最大の選択”を迫られていた。プロに行けば、一夜にして大金を得ることになるので、彼の周囲も騒然としている。 ジーザスの父ジェイクは、妻殺しの罪で服役中である。そんな彼のもとに、思いもかけない話がもちこまれた。州知事が、母校のビッグ・ステート大にジーザスが進学するのを願っている。もし、ジェイクが息子を説得させることができたら、彼の刑期を大幅に縮小するというのだ。1週間の条件つきで、ジェイクは二人の見張りの警官と共に、町に戻った。 ジェイクは息子を、自分が叶えることのできなかった夢、プロのバスケットボール・プレイヤーに育てあげるため、毎日きびしい練習を行った。だが、ジーザスはその重圧に耐えきれず、父に抵抗する。怒ったジェイクはジーザスに殴りかかり、止めようと間に入った母が、突き飛ばされて死んでしまったのだ。父は収監され、それから6年の歳月が流れていた。 やがてジーザスは、父の仮出所の目的を知ることになる。1週間はあっというまに過ぎ、ジェイクとジーザスの6年ぶりのワン・オン・ワン(一対一)が始まる。しかし息子の力量は、もはや父の及ぶところではなかった。父が勝ったら、息子は父の申し入れをきくと約束していた。そして父は敗れ、息子の目の前で再び手錠につながれた。 数日がたち、ビッグ・ステート大に進学したジーザスのニュースが、テレビで報じられる。だが、獄中のジェイクに、知事からの音沙汰はついになかった。 なんとも悲しい映画である。割り切れない思いだけが重くのしかかる。NBAの熱狂的ファンとして知られるスパイク・リー監督の意図はどこにあったのか。物欲に負けて高校からプロになってはならない。大学に行き、学問を収めてからにしろ、という彼の若者たちへの日頃の警告、そして今に根強いアメリカ社会の、黒人差別への告発なのだろうか。ジェイクを監視する警官の一人は白人で、もう一人は黒人なのだが、白人は無論のこと、優位に立った黒人が、自分より弱い立場にある黒人に対する仕打ちの酷さには、胸が凍る思いがした。 私もNBAの大ファンで、おまけに一番好きな俳優はデンゼル・ワシントンだから、待ちかねてこの映画をみた。こんなに格好の悪いデンゼルは初めてである。時代遅れのアフロヘアーと練習着、そして与えられたわずかな金でまず買ったのエアー・ジョ−ダンに、息子は辟易する。しかし、これは実際にいくらでもある話であろう。ジーザス役に起用されたNBAの若手選手、レイ・アレンも同じような経験をしているという。デンゼルは百も承知でこの難役を演じ、スパイク・リーが訴える黒人というものの現実を、具現化したのだと私は思っている。 さまざまな分野でスターの座についた黒人に、誰が好きかと訊ねれば、必ず黒人の名が返ってくる。マイケル・ジョーダンが好きな俳優は、黒人で初めてハリウッド映画に主演したシドニー・ポワチエである。 そのジョーダンも、ほんのわずかではあるが登場する。ジョーダンは、あと5秒というところで逆転シュートを放って優勝した、昨年のプレイオフを“ラスト・ゲーム”として、ついに引退した。ジョーダンの人生の成功とは正反対の物語である映画「ラスト・ゲーム」は、しかし彼ら黒人の想いを映し、時代を証言するものとして、長く残るであろう。 ジェイクが娼婦と心を通わせるエピソードは、なくてもがな。アーロン・コープランドの音楽は劇的効果をあげるが、時に過剰である。デンゼル・ワシントンは、大学でバスケの一流プレイヤーだったから、その実力を十分に発揮しているし、善良だが小心で貧しい父親の役を、見事に演じている。
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