2001年(平成13年)12月10日号

No.164

銀座一丁目新聞

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花ある風景(78)

 並木 徹

 朝日新聞のOBで北大の野球部員だった古川俊実さんから「北海道大学野球部100年史」が贈られてきた。古川さんとはスポニチ時代に知り合い、「調研室報」に掲載された古川さんの論文をよく読み、啓発されるところが多かった。
 100年史を読むと、日本での野球の起源にふれている。いろいろ説があるようだが、私は開拓使仮学校説に軍配を上げたい。
 北大野球部は1901年(明治34年)創部だが、その前身、札幌農学校、さらにその前身の開拓使仮学校の時、すでに野球が行われていたという。開拓使仮学校は明治5年4月15日、開設されている。ここの教師のアルバート・G・ベーツが生徒たちにゲームの仕方を教え、彼等で2チームを組織させ、毎日放課後に対戦させた。明治6年のころである。
 一方、開成学校〈東京大学の前身)でも、ホーレス・ウイルソンという教師らが同じころ生徒に野球を教えた。開成学校は明治6年8月3日に新築校舎完成、10月9日開学式を行っている。開成学校の前身は第一番中学校(明治5年8月発布の学制では小学校の上に中学校があったが、実体は外人を雇って外国語を教える学校にすぎなかった)でウイルソンが野球を持ち込んでいる。生徒たちを相手にボールをバットで打って楽しんだ程度のようである。君島一郎さんがその著書「日本野球創世記」(ベースボールマガジン社)で明治5年説をとる理由である。開成学校時代になって本格的な野球になるわけだが、開拓使仮学校よりは野球を始める時期が半年ほど遅かったように思える。
 面白い事にこのころ、東京外国学校(東京外国大学の前身)、熊本洋学校でも外人教師によって生徒たちに野球が伝えられている。庶民の間から野球が始まったアメリカと違って日本では学生から次第に野球が盛んになっていったわけである。日本の野球に教育的な色彩が強いのもうなずける。
 君島さんはその著書の中で「野球」という名訳を思いついたのは一高の中馬庚さんであるといっている。明治27年秋のことである。それまで基球、塁球、庭球という言葉がつかわれていた。
 日本でプロ野球の試合が行われたのは昭和11年2月9日、名古屋郊外の鳴海球場で東京巨人軍と名古屋金鯱軍が対戦した。10対3で金鯱軍が勝った。
 野球が日本に渡来してから130年、イチロウ、野茂、佐々木などのアメリカ大リーグでの活躍により、やっと日本の野球も認められだしてきた。
 蛇足と思うが、今年の北大野球部は9月29日、札幌6大学(1部〉秋季リーグ戦の優勝決定戦に敗れ2位となった。来期を期待したい。

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