マイケル・ベイ監督とジェリー・ブラッカイマー演出の映画「パール・ハーバー」について書く。制作費一億六千五百万ドル、戦艦の爆破シーンに7秒間に700本のダイナマイトと4000ガロンのガソリンを使用された。300機のゼロ戦による奇襲のシーンは迫力がある。この映画を戦争映画とみるか、ラブストーリ−とみるか人それぞれによる。
この映画で監督が一番強調したかったことは、アメリカ国民は一撃を食わされても、不可能を可能にし、復讐して必ず勝利をえるということであろう。その意味ではドゥーリトル中佐(アレック・ボールドウィン)指揮の16機のB−25による東京空襲は、第2次大戦で日本本土初空襲であり、日本に与えた影響は大きいものがあった。これを機に戦局ががらりと変った。映画のクライマックスはここだと私は思う。だからこそ、日本本土空襲作戦に大きな役割を果たしたルーズベルト大統領(ジョン・ボイト)とドゥーリトル中佐と実在の人物を登場させたのだ(この他に黒人として初めて海軍十字賞を受賞した三等水兵、コック、ドリーミラーもでてくる)。
ルーズベルト大統領は昭和17年4月、パール・ハーバー攻撃に一矢報いるため、東京の爆撃を思い立った。航空母艦から陸軍の爆撃機を発進させる奇抜な方法を考え出した。選抜されたパイロットたちは、短い滑走路を離陸する訓練をする。主人公のレイフ・マコーレー(ベン・アフレック)とダニー・ウォーカー(ジョシュ・ハートネット)も参加する。パール・ハーバーで奇襲を受けた際、全陸軍でたった二人だけが戦闘機で邀撃、ゼロ戦を7機撃墜する殊勲を買われたのである。
4月18日、日本本土から700海里に接近した時、B−25中型爆撃機を16機を搭載した「ホーネット」を旗艦とする第16機動部隊は、日本海軍の駆逐艦に捕捉された。発進予定は日本本土から600海里である。果断なハルゼー中将は発進を決意した。この時日本本土からの距離は640海里、爆撃後の着陸予定地である中国本土までの燃料はギリギリである。飛行機をできるだけ軽くして燃料をつみこませる。このあたりのシーンは手に汗を握るに十分だ。
ルーズベルト大統領は、爆撃機の発進場所を記者団に聞かれて『それは、太平洋のある幻の孤島シャングリラからである…』とありもしない島の名をでっち上げて大真面目に答えたものである(是本信義著「戦史の名言」より)。
不可能を可能にしてこそ道が開ける。アメリカの第二次大戦の勝利の伏線はここにあったといえる。
日本の資料によれば、ノース・アメリカン25が低く月島上空を西進する。零時29分(昭和17年4月18日)空襲警報が発令され、大井、蒲田、品川、早稲田、尾久、淀橋などの地区に被弾をうけた。この日東京へは13機、名古屋へ2機、神戸へ1機が向かい各地に爆弾を投下した(『東京大空襲秘録写真集』雄鶏社)とある。B―25は2機をのぞいて14機が中国本土へ着陸に成功している。映画では中国に着陸後、ダニーが戦死する。イヴリン・ジョンソン(ケイト・ベッキンセール)をめぐる親友同士の愛の葛藤は意外な結末をみせる。
「ドゥーリトル空襲」に衝撃を受けたのは、日本海軍であった。連合艦隊司令長官山本五十六大将(マコ・日本人俳優)はその再発防止のために、米空母機動部隊をまとめて誘い出し一気に撃滅しようとして実行されたのがミッドウェー作戦であった。この作戦で主力空母四隻と多数の飛行機及び練達の搭乗員を失い、これを機に、太平洋正面における日米海軍の勢力は逆転した(近代日本戦争史第4編大東亜戦争)。
日本の当時の戦時標語は「頑張れ!敵も必死だ」「進めつらぬけ米英に、最後の止め刺す日まで」であった(明治大正昭和 世相史・社会思想社刊より)。
歴史はアメリカも日本も語り継ぐべきもの。映画「パール・ハーバー」はベイ監督がそれなりの思いをこめて制作したものである。その日、観客は多くなかったが、戦争について考えさせられる映画であることは確かである。
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