2001年(平成13年)9月1日号

No.154

銀座一丁目新聞

ホーム
茶説
追悼録
花ある風景
横浜便り
水戸育児便り
お耳を拝借
銀座俳句道場
告知板
バックナンバー

お耳を拝借(23)

-お相撲さんのいる町

芹澤 かずこ

 

 総武線で隅田川を渡るとタイの寺院を思わせる国技館の緑色の屋根が見えてきます。
 墨田区両国。14年前、夫と死別して30年ぶりのOL生活をこの下町でスタートさせました。国技館のある区域は墨田区横網(よこあみ)町ですが、私は最初、横綱(よこづな)町と読み違えて、「さすが…!!」なんて感心したものです。
 1月と5月と9月の東京場所の時は、色とりどりの幟(のぼり)がはためき、振れ太鼓が聞え、ふだんは真っ暗な国技館に灯りが点り、建物全体が活気づきます。相撲がハネルと両手いっぱいにみやげ袋を下げた見物客で、両国駅のホームはラッシュアワーさながらの混雑になるので、場所中は少し時間をずらして帰るようにしていました。
 国技館の周辺には相撲部屋が点在しているので、シーズンオフには町中でよくお相撲さんを見かけました。ジャージのトレーナー姿で自転車に乗っていたり、浴衣がけで風呂敷をぶら下げて歩いていたり、おだんご屋に並んでいたり、ゲームセンターに入ったり、喫茶店や銀行で一緒になることもありました。
 京葉道路と清澄通りの交差点の角に大判の洋品店があり、お相撲さんがよく出入りするので、並んで信号待ちをすることもしばしばでした。側で見るお相撲さんはやはり背丈も横幅も大きくて、びんつけ油のいい匂いをプンプンさせていました。

 両国には国技館のほかにも関東大震災の時に多くの犠牲者を出した旧陸軍被服廠跡地に、慰霊のために建てられた震災記念堂もあり、9月1日の震災記念日には清澄通りの両側にずらりと露店が立ち並び参拝客で賑わいます。
 また12月14日、15日の両日は、お馴染み『忠臣蔵』の仇討ちの舞台となった吉良邸の跡地、現在の本所松坂町公園の周辺に“元禄市”が立ち、正月用品を買い揃える近隣の人でこちらも大賑わいです。時には町内にある会社の社長命令とかで、社員が総出で討ち入り装束に身を固め、堂々ならぬモタモタ行列をして、買い物客を楽しませてくれることもあります。
 衣料品の製造元が多いこの辺りは、この元禄市の前後にバーゲンセールが始まります。すっかり顔見知りになった商店のおかみさんの親切な情報に、ついつい財布の紐がゆるみましたが、お陰で着る物には不自由しませんでした。
 ここで過ごした7年の間に、この界隈も大きく様変わりして道路沿いの昔の建物が新しいビルにつぎつぎと建て替わり、回向院の側にはスポーツジムと劇場も出来ました。
 国技館に隣接して、両国のもうひとつの名物になった江戸東京博物館のとてつもなく大きな建造物も出来ましたが、その建設中に鉄骨がどんどん積み重なってゆく工程を毎日目の当たりにしながら、開館の日を心待ちしたものです。



このページについてのお問い合わせは次の宛先までお願いします。
www@hb-arts.co.jp