2001年(平成13年)7月10日号

No.149

銀座一丁目新聞

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茶説

池田小学校の建て替えは不必要だ

牧念人 悠々

 「疑問はその場で正せ」とは事件を追及する新聞記者を戒めた言葉である。この取材原則で何度か、特種を取り、特落ちも防いだ。その大切さをいまさらのように教えられた。
 8人の児童が殺害され、20数人が傷つけられた事件で、大阪教育大附属池田小学校の校舎が建て替えられることになった。このニュースを聞いた時、「そんなことをしなくてもよいのに・・・それにしても子供たちはヤワになったものだ」と疑念に思った。思っただけでそのままにしておいた。
 作家の曽野綾子さんが「事件の校舎−すぐ建て直すことが必要か」と異議を唱えられた(6月26日 大阪新聞)。それによると、事件の思い出が忌まわしいからというだけの理由で棄てる。そんな発想は金持ちのばか息子のわがままとそっくりだと、まことにてきびしい。そういえば、知人の写真家の平岩道夫さんは、ケニアで一本の木下に黒板をぶら下げて授業している子供たちをみて、私財を投じて小学校の校舎を立てているではないか。日本の子供はあまりにも、恵まれ、あやまかされている。
 「教育とは、生と死、善と悪の双方に毅然として立ち向かう事だ。時にはその苦しみや恐怖と、いかに幼くとも闘わせることだ」とも曽野さんは説く。ヒステリックにならずに冷静にきくべきである。
 たしかに、惨事を目の前で目撃した児童のショックは大きいものがあろう。そのショックを乗り越える方策を模索するのが現場教師たちの責務だ。教師たちがする事を児童たちは息をこらしてみつめている。教師たちの行動がそのまま教育なのである。逃げてはダメだ。「何が教育か」を真剣に探るべきである。教科書を教えるだけが教育ではない。目の前におきた事件の処理そのものが教育である。生きた教材が身の回りにいっぱいある。ヤワになっているのはむしろ大人かもしれない。現実と厳しく対処せず、あまりにも物分りがよく、安易にことを処理しようとしているように見える。

 いまからでも遅くはない。校舎の建て替えを即刻中止すべきである。不幸な出来事を児童の幸せに転ずるのはいつに教師たちの双肩にかかっている。

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