2004年(平成16年)12月1日号

No.271

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競馬徒然草(34)

―「イヤダイヤダ」― 

  最近はオカシナ名前の馬が少なくない。これも競馬の大衆化の反映といえるだろう。変わった名前の馬といえば、ずばり、「オカシナヤツ」という名の馬がいた。最近出走しないので、どうしたのかと思っていたら、いつの間にか、中央競馬から姿を消していた。消息は知る由もないが、それはそれで気になるから、妙なものだ。
 変わった名前の馬といえば、「イヤダイヤダ」(2歳牡)という馬がいる。名前から想像すると、レースに出るのも駄々をこねて嫌がるイメージだが、実際の馬はそうでもないらしい。というのは、鮮やかに勝ってしまったからだ。11月20日、京都の第3レース(2歳未勝利)。好スタートで先頭に立つと、そのまま逃げ切ってしまった。2着に4馬身差をつけての楽勝だから、名前からくるイメージとは、まるで違う。
 ところで、この馬の名前についてだが、命名の意図は何だろうか。この馬は牡馬だからいいとして、これがもし牝馬だったら、名前も少しニュアンスを変えるつもりだったのだろうか。例えば、「イヤヨイヤヨ」(嫌よ、嫌よ)という風にである。といっても、これではふざけ過ぎの感があり、イメージがよくない。「品が悪い」というような理由で、馬名の登録申請が受け付けられないかもしれない。そもそも、「嫌よ、嫌よ」と、何を嫌がっているのだろう、とヘンな想像をたくましくする人もいるかもしれない。
 馬名の付け方は、今は制約も緩やかになっているが、以前はかなり厳しいものがあった。時代をさかのぼってみる。現在のJRA(中央競馬会)が発足する以前のことだ。当時は、各競馬場に競馬倶楽部があり、それが競馬を開催していた。馬名の登録を受け付けるのも、各競馬倶楽部が行なっていた。
 1931年(昭和6)のことだが、当時の農林省が畜産局長名で、各競馬倶楽部宛てに、馬名登録受け付けに関して通達を出している。それには、「多少とも真面目を欠く馬名登録は受理しないように」とある。そして、例として「オヤオヤ」「ヤレバワカル」などが挙げられている。その通達からいえば、
あの「オカシナヤツ」など、真っ先に槍玉に挙がったことだろう。「イヤダイヤダ」が危ないのはもちろんだが、「イヤヨイヤヨ」などは、もっと危ないだろう。
 それにしても、ざっと70年も昔のことだが、その頃すでに、変わった馬名を付けようとする馬主がいたわけだ。その後、厳しい制約を受ける時代が続いた。その規制も、現在では次第に緩やかになってきている。登録馬名の変遷は、競馬の大衆化を知る上でも興味深いものがある。馬の頭数が増え、特に何頭も馬を持っている馬主は、名前を考えるのも一苦労のようだ。それはともかく、「嫌だ嫌だ」といいながら逃げ切ってしまった馬のことは、競馬
史における珍しい記録の1つとして残るだろうか。

( 新倉 弘人)

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