2004年(平成16年)12月1日号

No.271

銀座一丁目新聞

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山と私

(13)
国分 リン

−根性の「金城山」と信仰の「皇海山」」−

  今年は異常気象続きで、台風も上陸の新記録である。アガルマータ登山隊(スポニチ6期生の会)のお誘いで女峰山縦走と皇海山へ申込みをした。折から台風上陸予報の8月27日20時京極氏のワゴンに女性3人男性3人で出発。この日の宿泊地男体山登山口の志津
避難小屋への駐車場へ着いた頃はどしゃぶりの雨が降り、23時になっていた。真っ暗闇の中リーダーの中沢氏が道から5分ほど奥の小屋を見つけシェラフを持ちそっと小屋へ入った。先客を心配したが誰もいず、迷惑をかけずにすみ、ホッとした。この小屋はとても広く30人は泊まれるし布団も数組あった。皆良く眠れた。

 8月28日(土)早朝5時起床相変わらずのひどい雨降りである。車へ戻りテレビの天気予報で新潟県だけが晴れ予報で、リーダーを中心に相談の結果、金城山に変更する。トンネルを抜けたら雪ではなく晴れていて青空に皆笑顔になる。突然のコース変更で地図なしに不安もあったがリーダー達は以前に途中まで登っていて今回は頂上を極めると再挑戦。登山口を探し標識を見つけ細い林道の終点に
登山口があった。ストレッチをして8時に出発。このコースはあまり人が入ってないようで笹が生い茂り、前後に登山者はなく本当に静かで貸切状態である。ヤブ状態の岩井沢沿いを何度も渡り返し登り、ブナ林の急坂を喘ぎ登る。暑くて皆搾れるほどの汗にまみれ、水分を摂っている。こんなに汗になったのも久しぶりである。道標の4合目を見つけ5,6,7合目と延々ブナ林の中の急登を喘ぎ、次に鎖場を2ヶ所夢中で過ぎやっと六日町市街と坂戸山の展望が開けた。また少し行くと鎖場があり、そこをクリアすると8合目の標識に出てもう少しだと言い聞かせ、梯子坂の急坂を登りきると展望のウサギ平になり目前に大きな岩場がみえた。始めて水無コースからの2人連れに合った。山頂を目指し探して岩場の左をまいて進むと立派な避難小屋へ着いた。そこで結局あの大きな岩場が頂上と判り急いで戻る。山頂は一枚岩のテラス状態で何も標識がなくただ4個の石塔が南を向いて並び立っている。暖かい陽だまりに思い思いに腰をおろして休憩をとる。金城山頂(1,369m)標高差1,200m到着時間12時半であった。急登続きときつい鎖場の連続に「金城山ではなく根性山だよね。」の京極氏に皆納得した。でもこの達成感は何にも変えられない。

 8月29日(日)宮崎先生のプモリに前夜お世話になり、先生の案内で深田久弥の日本百名山の中で「皇海山は今尚静寂の中にある」と載っている。唯一の登山道が栃木県足尾側からは日帰りは難しい。
群馬県側の栗原川林道が1985年に開通し、短時間で往復できる不動沢コースが最近のメインコースになっている。その「皇海山」
を目指す。
 宮崎先生運転の車に乗り魔の林道(悪路と落石の危険箇所が続く)の細い道で片側は切り立つ崖でおっかない林道だが、なぜか宮崎先生は安心感を与え、車の中は笑いが絶えない。スピードは20K以上出せず、一時間ほど乗った所に皇海橋があり、駐車場と新しいトイレがある。折から霧雨が降り出し雨具をつける。先生は相変わらずの長靴と傘スタイルの身軽さである。
 皇海橋(1,350m)を渡り登山道に入り不動沢を石伝いに左に渡り、緩やかな唐松の道を登る。やがて川幅が狭くなる沢を何度も渡り返し,流れが左右に分かれた広い二俣に着き、ここで休憩。ここから上はガレバで、上り終えた福島の人達が岩で休んでいた。今日出会った登山者はこの一組だけである。沢の水が伏流になり石のぬかるみの上をどんどん登ると尾根に着く。樹林の中を登ると鞍部(不動沢のコル)へ着いた。ここはガスの時迷いやすいので注意ですよと先生に教えられた。あいにくの天気で展望は望めない。このコルから栃木・群馬の県界尾根を左へ向かう。コメツガ・シラビソの樹林帯の急坂を通り抜けると、枯れ木と笹原になる。その笹原の露払いをしながら登り倒木のベンチで昼食を摂る。ここからはもう30分ほどですよの声に救わる。また急登になると5bほどの岩が現われ間を通り抜ける。再び針葉樹林になり、左側に高さ2bほどの青銅の剣が祀られている所を過ぎると平らになり、皇海山山頂(2,144m)に到着。折から雨が止み、この場所だけが明るくなり、とても不思議な現象でした。渡良瀬水系源流の地の標識が印象に残る。樹木が多く、あまり展望はない。記念撮影をして、下山。先生と京極氏はきのこ採りをしながらの余裕、コルの所は本当に迷いやすく紛らわしい。無意識に踏み跡を追うととんでもない事になりそうだ。地図を読み確認しながら歩かなくてはと反省した。雨と汗でビショぬれであったが、宮崎先生、カメラードのお陰でまた一つ百名山を登ることが出来た。

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