2004年(平成16年)3月20日号

No.246

銀座一丁目新聞

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安全地帯(71)

−信濃太郎−

逃避行の中に中国人の情けあり
 

 新京一中3年生124人の悲劇と苦難は、昭和20年8月9日、ソ連軍の満州侵攻から始まる。生徒たちは国境の街東寧にあった「東寧報国農場」に勤労奉仕のため5月30日に到着、以来農作業にあたっていた。「報国農場」は満州各地に設置され、青少年を派遣して食糧増産にあたらせる制度であった。日ソ開戦時には全満各地で58ケ所派遣隊員4千6百人に達していた。日本から中学生を動員派遣していたが、空襲が激しくなったため内地からの派遣が難しくなり、初めて応援隊として新京一中の生徒が選ばれた。
目の前にソ連領の丘があり、見上げるような位置にソ連軍のトーチカが望見された。農作業の合間に「対戦車地雷攻撃」の訓練もやらされた。
 戦争となれば、新京まで逃げ帰るほかない。総員は引率の斎藤教官含めて125人。距離は700キロ。東京から岡山間での道のりである。東寧駅に行けば避難列車はすでに出た後であった(8月9日午後4時ごろ)。次の駅道河では避難列車にのれるかもしれないというので山越えして歩く(出発午後6時)。夕食をした県公署がソ連機の爆撃を食らったのを目撃する。タッチの差で命拾いをする。生水は厳禁であったが隠れて飲むうち生水に強くなった。その後の逃避行を通じて体力維持に役に立った。月明かりのもと「歩兵の歌」を歌って行軍する。見ると中国人苦力の群れあり、朝鮮人の集団あり、日本の婦女子あり、開拓団の家族あり、単独行動している日本兵の小部隊や遊兵もあった。このとき東寧からの避難民は3000人を超えたが、半数以上が祖国の土を踏めなかった。
 道河駅舎は小さな田舎駅であった(10日午後4時ごろ)。鉄道が動いている気配は全くなかった。やむなく鉄路線路沿いに北上し牡丹江に向う。沙洞駅手前の鉄橋ふきんでソ連機の銃撃を受ける(11日朝、駅には正午頃つく)。食事は道端の畑からジャガイモを掘り出してきて飯盒でゆでたり、トウモロコシの粉でパンを焼いたりして食べる。塩とマッチが最も重要な貴重品であった。
 沙洞駅から軍用道路に出て万才峠を越えて大城廠ヘ進む(11日午後2時ごろ)万才峠への山の中の小屋で明け方に満州国警官に呼び起こされて「1キロほどいったところに一つの小屋がある。そこからいくつかの峠を越えると朝鮮の図們に出られる。これが残された唯一の道である」と教えられた。斉藤教官は現場にきてみて驚いた。「見上げると東満の鬱蒼たる密林である。こんなところを進んだら飢えと渇きで全滅は必至だ。まだソ連の捕虜の方がましだ」と判断して予定通り大城廠の道を選んだ。正解であった。
10日もかけて原生林の山奥を歩き通し、鉄道のあるところに出てきた。そこは石頭であった(18日夕刻)。輜重隊から米、砂糖、牛缶などを分けて貰う。ここではじめて日本が負けたのを知った。東京城についた(19日昼過ぎ)。食糧も豊富で、3ケ月ぶりに畳の上で寝た。ここで入城してきたソ連軍の捕虜になる(20日)。中学生というのでシベリア送りを免れた。ある日、ソ連兵が日本兵のバンドをとろうとして、拒否されると、射殺してしまう場面を目撃する。一緒にいた義勇隊にはしごかれ、ぴんはねされた。使役にでないときは、みんな空き地で野草や昆虫を探して食べた。9月下旬頃から日本兵捕虜は全部いなくなった。9月10日ソ連軍から解放された。義勇隊から南に下がろうと誘われたが、生徒隊は北進して牡丹江へでて汽車に乗ってハルビン経由で新京の帰る道筋を取った。これが明暗を分けた。南下した義勇隊は現地人の襲撃にあい、多くの犠牲者や離散者をだした。
 東京城から約12キロ離れた石頭村で思いもかげない温かいもてなしを受けた。乞食同然の百余名の中学生を3,4人づつ村に分宿させた。みんな久し振りに家庭料理を味わった。平成3年6月有志30数名がこの村を訪ね御礼をした。当時を覚えている71歳のチャンペイチンさんは「困った者を助けるのはお互いに人間として当然のことであり、我々はただあたりまえのことをしただけです」と淡々と語った。10月20日午前10時過ぎ102名の中学生が肉親の待つ新京に着いた。すでに先に帰還した者9名,遅れて帰京した者5名、病気で倒れ死亡した者4名、途中ソ連軍に捕まった斉藤教官はシベリア送りをまぬがれて帰還した。動員途中に帰ったもの4名である。それぞれにさまざまなドラマがあった。
 田原和夫著「ソ満国境15歳の夏」(築地書館)には新京一中の多感な少年達の稀有な逃避行の体験が書かれている。いま日中合作の映画化の話が進められている。

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