1999年(平成11年)9月10日号

No.84

銀座一丁目新聞

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映画紹介

 

12回国際女性映画週間上映作品(2

新しい肌

otake.jpg (8731 バイト)大竹 洋子

監 督 エミリ・ドゥルーズ
脚 本 エミリ・ドゥルーズ、ロラン・ギヨ、ギイ・ロラン
撮 影 アントワーヌ・エベルレ
美 術 ジミー・ヴァンスティーンキスト、
ムンジ・ガセ・クチュール
出 演 サミュエル・ル・ビアン、マルシアル・ディ・フォンゾ・ボ、
カトリーヌ・ヴィナティエほか

1999年/フランス映画/カラー/96分

 ゲームソフトの仕事をしている30歳のアランは、ある日、突然人生を変えたいと思い立った。看護婦の妻とのあいだには可愛い4歳の娘もいる。生活は滞りないし,別に不満があるわけでもない。しかし、アランは誰にも相談せず会社をやめてしまった。

 職業安定所に出かけていったアランは、建築現場の監督になるための訓練を受けることにした。それには4カ月間の寮生活が必要でる。毎週末にはパリに戻るからと、呆気にとられる妻子をあとに、アランは遠く離れた山の中の訓練所に赴いた。

 そこには、新しい職を得るために集まってきたさまざまな男たちがいた。指導責任者は人生の経験を重ねたことを思わせる人物で,男たちのよき理解者である。これまでとは全く違う仕事の内容をアランはよくのみこみ、ダンプカーやショベルカーの運転技術にもすぐれ、たちまち優等生になった。そんな日々になかで、アランは一人の若者と出会う。マヌーという名のこの若者は,不器用で要領が悪く,いつも落伍者になってしまう。そろそろ山中での合宿生活にも飽きていたアランは、マヌーになぜか心ひかれて、彼の協力者になろうと決心する。大人の顔をしながら、精神的に未熟なマヌーを励まし,勇気づけることが、アランにとって大切な日課になった。

 パリの留守宅では,妻と勤務先の病院の医師との交際がすすんでいた。娘も、滅多に帰ってこないアランよりは、彼のほうになついてしまっている。アランの心はいよいよ家庭から離れ,マヌーの教育にむかってゆく。そしてとうとう最終試験の日がきた。アランは最優秀の成績をあげる。しかしマヌーは失敗、彼だけが資格をとることができない。絶望して姿を消したマヌーを一晩中かかって探しあてたアランは、パリで二人でやり直さないかと提案する――。

 フランスは、世界中でもっとも女性監督の多い国である。女性と男性は同じ権利と条件で映画を学び,監督デビューすることができる。この作品が第1作のエミリ・ドゥルーズは、パリの名門映画大学フェミス(元イデック)で学んだ。在学中からTVの長編シリーズ・ドラマを手がけたドゥルーズは、哲学者ジル・ドゥルーズの娘である。今年の横浜フランス映画祭で「新しい肌」が上映され、監督と二人の男優が来日した。上映のあとの質疑応答で、主人公の二人のその後について訊かれたドゥルーズさんは、「私も知りたいと思っている、そのためにはもう一つ作る必要がありますね」と笑いながら答えた。そのうち、続編がきっと出来上がることだろう。それほど、この映画の終わり方には結末がない。

 映画の中で物語を完結させないものが、女性監督の作品には多い。人生はそれで終わりというわけではないから、むしろその後の人生のほうが、より大変だったり、より幸せだったりするのだろうが、先入観をもたず、既成概念にとらわれずに映画を作り、その過程で自らも成長してゆくという方法を,ドゥルーズさんもとっていると思われる。

 女性に変身願望があるように、男性にも同じ願望があるということ、女性が女性同士で居心地がよいように、男性も男性の仲間と一緒にいるほうが楽しいのだろう、などということを、私はあらためて感じている。女性監督がとりあげる主人公は,総じて女性が多いが,近頃は男性を主人公に,男性の葛藤を描く作品もふえてきた。女性監督の世界が広がった一つの証拠ではあるが,女性が扱うことによって、男性の別の世界がみえてくるというのであれば、私たちは、これまで男性が描いた女性の世界を,いやというほどみてきたわけで、なんだが問題は振り出しに戻ったなあ、という気がする。アラン役のサミュエル・ル・ビアンは、フランス映画期待の俳優、アニエスb.が製作に参入している。

 113日(祝)、シネセゾン渋谷で上映

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