1999年(平成11年)6月20日

No.77

銀座一丁目新聞

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茶説

映画「鉄道員」は滅私奉公を訴える

牧念人 悠々

 1週間に1度映画をみるように心掛けている。あるパーティで東映の岡田祐介さんに会ったら、「ぽっぽや(鉄道員)は『失楽園』をこす興行収入をあげますよ」と言っていた。

 評判は聞いていたので、映画館へ足を運んだ。行列である。必ずしも年配者ばかりではない。アベックもいる。入る時も出る時もトビラを規制して観客をさばく人の入りようである。日本映画が映画館でいっぱいになるのは嬉しい限りである。

 見終わってから、何故この映画が受けるのか考えてみた。主演の高倉健の映画登場5年ぶりということもあろう。アイドル広末涼子をみたいという人もいよう。しかし、もっとも大きな理由は、男の生き方に一本筋が通っているからであろう。

 北海道のローカル線の一人駅長は、幼い一人娘の死にも、愛する妻が死んだ際にも、ひたすら駅を守る。何よりも業務を優先する。文字通り家庭をかえりみず働く真面目男である。その男のいちずな生き方に観客は感動する。幼い娘も妻も深く愛しながらも、この男には、駅を守ると言う無器用な形でしか表現できないのである。観客もそれがちゃんとわかっている。だから、時に涙し、時には深くうなづくのである。

 戦後の日本の復興を支えたのは、映画に出てくるデコイチ(D51)や気動車キハであり、「滅私奉公」を胸に仕事に生きた男たちであった。

 「滅私奉公」なんて、古くさい言葉と言うなかれ。現代でも公共の仕事に従事する場合、「私」を犠牲にしなければならない時が少なくない。わかりやすい例をあげれば、大地震のさい、役所、警官、消防士、自衛隊、病院、新聞記者、その他関係職場では、救出、復興、報道などのため、月余にわたり働き、家庭をかえりみる余裕などない。「私」を押さえねばならない場合がある。ふだんの仕事でもこういう時はある。

 はからずも映画「鉄道員」は、その事を思い出してくれたのだった。

 興味あるのは、死んだ幼い娘が、駅長の前に、三度現れるシーン。45歳ごろの少女、小学生の時と女学生の時の三回、成長した姿をみせる。駅長の孤独と心の底におりのように残る悔恨をいやす。17歳の女学生は鉄道マニアになって、列車のすべてに精通していて駅長を喜ばす。

 心理学者のユングは、「人間の魂は死後も自己の完成に向かい、長い旅を続ける」と信じている。映画は、まさにその通りに展開した。ユングを学ぶ私にとっても喜ばしい場面設定であった。久し振りに見ごたえする邦画に出会った。

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