1999年(平成11年)6月20日

No.77

銀座一丁目新聞

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“針の穴から世界をのぞく(23)”

 ユージン・リッジウッド

破壊の終焉

 [ニューヨーク発]コソボの破壊もついに終わりの時を迎えた。セルビア共和国全土に対するNATO軍の攻撃は3カ月にも満たないものだったが、近代兵器を駆使した連日の空爆はバルカン半島中央部の一国に対するものとしては、見方によればずいぶん長いものだったと言える。

 これで1990年に始まった旧ユーゴスラビア連邦の崩壊劇はついに最終章を迎えた。ミロシェビッチが大統領として登場してまもなくの1989年に始めたコソボの弾圧から数えてちょうど10年、他民族を制圧するという時代錯誤の政策はまさにコソボに始まり、コソボで終わろうとしている。ミロシェビッチのセルビア優先主義からの離脱を図ったスロベニアが90年にその口火を切り、次いでクロアチアは91年に独立し、ボスニア・ヘルツエゴビナがモスレム勢力とセルビア勢力の間で激しい内戦を繰り返す間にマケドニアが独立し、かつボスニアも独立、そして今コソボが独立国家の地位は得られなくても、セルビア勢力から自由になった。驕る平家久しからずの教えはいまだ不滅であることをミロシェビッチは見せてくれた。

 コソボ弾圧とNATO軍攻撃による正確な双方の犠牲者と被害の程度はこれからの調査を待つ他ないが、これまで伝えられたところでは、セルビア軍兵士の犠牲約5千に対し、セルビア軍によるアルバニア系コソボ住民の犠牲者は1万という。国際戦争犯罪法廷の調査対象となるおびただしい数の犠牲者がこの中に含まれる。激しいNATO空爆の結果4万人といわれたコソボ派遣セルビア軍の犠牲が1割強でしかなかったというのは、NATO軍の攻撃が終盤に入るまでは施設、補給経路を中心に行われ、ミロシェビッチに暴挙の無駄を思いとどまらせようとしたからだろう。もしセルビア軍を本格的につぶすことを目的としていれば、セルビア軍の犠牲者の数がこの程度には収まらなかったはずだ。

 紛争が起きるたびに、話し合いで平和的解決をと空しい議論が繰り返される。だが紛争で平和的解決などというのはまずはあり得ないということが近年の紛争は如実に示している。イラクの暴挙は結局は力で封じ込められる他はなかった。ルワンダやザイールの紛争では国連をはじめとする有効な国際的仲裁の手立てのないまま、民間人虐殺を繰り返した後、結局力のある方が勝利して終結した。ボスニア・ヘルツエゴビナでも国連軍は繰り返される悲劇を眺めている他はなかった。デイトン協定で停戦が決まったとき、国連には何の役割もなく、米、英、仏を中心としたNATO軍及び一部その他の国際部隊がいまだにボスニアの平和状態を保たせている。

 ボスニアの前例からNATO諸国は最初から国連の仲裁能力などあてにしていなかった。この現実を認めることは、軍事力によらない平和的解決を叫び、国連の紛争調停能力に幻想を抱く人々には誠に受け入れがたいことだが、現実を否定することは出来ない。もちろんNATO諸国も話し合いを最初からまったく無視していたわけではない。昨年1月コソボ内での弾圧とコソボ解放を求めるゲリラの活動が活発になったとき、アメリカやNATOの調停活動は続けられた。昨年10月にはミロシェビッチも一度は弾圧中止に合意した。しかしセルビア人の言動不一致はボスニア戦争でこれでもかこれでもかと見せ付けられたことだった。果たして弾圧は続き、国内難民が続出し、コソボ解放軍の抵抗はエスカレートし、挙げ句に3月コソボ解放軍も受け入れたランブイエでの調停をミロシェビッチは拒否した。この経緯を振り返ると話し合いで平和解決をという言葉がいかに空虚な訴えでしかないかがよく分かる。

 コソボ紛争は歴史的な教訓を残している。それはヨーロッパでは恐らく今後独裁政権が人民を弾圧するという悲劇は許されなくなったということである。コソボはこの欄でも触れたことがあるとおり、明らかな国内問題である。国内紛争に国際勢力が調停にかかわり、調停が成立しないと見ると、国際勢力は国内問題の如何にかかわらず大掛かりな介入をする。これは潜在的な独裁者に対する警告として当分の間は大きな力を発揮するだろう。人道問題を引き起こす国内問題には国家主権も侵される時代が来たことをコソボは示している。ただこの介入はヨーロッパ内だけに限られるということも忘れるわけにはいかない。自らの国の若い兵士を犠牲にしてでも人道問題に介入するという米欧の覚悟は決して米欧以外の地域にまで適用されるものではない。もし例外的があるとすれば、それはアメリカの裏庭つまり中米地域と米欧に直接利害が及ぶ中東に限られる。

 アフリカでは今後も反人道的独裁者による民衆の犠牲が限りなく続くだろう。旧ソ連圏諸国内での民族的対立は今後もさまざまな形で噴き出すだろう。もちろんチベット問題をはじめ、中国での民族問題も将来難しい課題となって表面化するだろう。ビルマやインドネシアでも人道問題、民族問題がしばしば米欧の激しい非難を招くことになるだろう。それでもこれらの地域の人道問題に関して、米欧が実力で介入することはまずないと断言できる。当分ヨーロッパだけが紛争のない平和な地域となり、世界の各地で形を変えながら緊張状態は繰り返されるのだ。

 近年異民族はますます分裂し、同民族は統一するという大きな流れを生み出している。その過程で紛争が繰り返されてきた。しかしヨーロッパ連合とNATOの拡大はその紛争パターンの逆を求める壮大な実験と言える。その実験は日本や中国にはどう映っているのだろうか。

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