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安全地帯(456)
−信濃 太郎−
阪神タイガース創立80周年に寄す
阪神タイガースは今年球団創設80周年を迎える。プロ野球は阪神フアンである。生まれが大阪だからである。昭和10年12月10日球団名「大阪タイガース」で発足した。初代監督は森茂雄。松山商業、早稲田大学時代とも好守好打の内野手であった。東大野球部監督、早稲田大野球部監督を務める。主将は松木謙次郎(明大)。球団発足のあたり、甲子園野球の名選手、広陵中学校の門前眞佐人、同じく岡田宗芳、山口中学校の御園生崇男、日新商業の山口政信、呉港中学校の藤村富美男、鳥取1中の藤井勇らを集めた。昭和9年12月に大日本東京野球倶楽部・球団名「東京巨人軍」が創立され、職業野球リーグができた。
昭和11年度の「タイガース」のメンバーは次の通りである。(ポジション・背番号・氏名・年齢・出身校の順に記す)
監督・25・森茂雄・31・早大 監督・30・石本秀一・40・広島商業
投手・5・渡辺一夫・21・山口中 同・7・村田重治・20・京橋商業
同・10・藤村富美男・22・呉港中 同・12・古川正男・22・ハワイ大
同・14・菊矢吉男・22・八尾中 同・15・御園生崇男・21・関大
同・18・若林忠志・29・法大
捕手・2・小川年安・26・慶大 同・17・門前真佐人・20・広陵中
同・19・佐藤武夫・21・岡崎中
内野・1・伊賀上良平・20・松山商 同・3・岡田宗芳・20・広陵中
同・9・松木謙治郎・28・明大 同・20・加藤信夫・20・専大
同・21・小島利男・24・早大
外野・6・景浦 将・22・立大 同・8・山口政信・21・日新商
同・11・藤井勇・22・鳥取一中 同・16・平枡敏男・26・慶大
昭和11年度のプロ野球チームは「巨人」(監督・30・浅沼誉夫・46・早大―監督・22・藤本定義・33・早大)タイガース、大東京(監督・永井武雄・33・慶大―21・伊藤勝三・30・慶大―21・小西得郎・41・明大),金鯱(監督・20・岡田源三郎・41・明大―21・二出川延明・36・明大)、名古屋(監督・池田豊・44・早大)、セネタース(監督・21・横沢三郎・33・明大)、阪急(監督・三宅大輔・42・慶大)の7球団。4回のリーグ戦、2回のトーナメントを行った。両方の勝ち点合計が同一であった巨人とタイガースの間で優勝決定戦が行われた。巨人が2勝1敗で優勝、タイガースが2位であった。
この洲崎球場で行われた決勝戦のフイルムがこのほど発見されたとNHKテレビが伝えていた(2月13日)。一塁のコーチボックスに背中を向けて立つ背番号22番は明らかに藤本定義監督である。貴重なフイルムである。
藤村は入団の年は投手として活躍、6勝1敗の成績であった。後に内野手に転向、その豪打が評判を呼んだ。プロ野球で最初のサイクル安打を記録したのは藤村選手である。その名誉を讃えて、藤村選手の背番号「10」は永久欠番となった。昭和23年10月2日、甲子園で行われた対金星戦。金星の監督は背番号30の藤本定義(45)・早大、投手は23・小林常夫(23)・台中商であった。1回に三塁打、2回に変わった24・池田善蔵(26)・尾道商から2塁打、5回には内野安打、6回には三人目の投手・21・三富恒雄(29)・栃木商から安打、8回に本塁打を放った。時に藤村33歳であった。この年の球団数は8チーム、優勝は南海(監督・30・山本一人・33・法大)、阪神は3位であった。それまでに阪神が優勝したのは昭和12年の秋のリーグ戦、昭和13年春のリーグ戦、昭和19年、昭和22年にそれぞれ優勝している。ともあれ、今年の阪神タイガースの優勝を期待する。
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