2015年(平成27年)1月1日号

No.631

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茶説

戦後70年を迎え感あり

 牧念人 悠々

 今年は戦後70年である。「歴史のもっとも大事なことは、共感ということだ』と言ったのは評論家の福田和也さんである。「自分につながる、今、ここで生きている自分にとって他人ごとではない事柄として、過去を振り返り、その実感のなかで、前の世代との絆を確認すること」と敷衍する。私が共感するのはローマ法王の昨年11月30日の発言である。
 フランシスコ・ローマ法王は来年が第二次世界大戦の終結から70年を迎えることに関連し、世界に多数の核兵器が残っている現状について「人類はヒロシマ、ナガサキ(の被爆)から何も学んでいない」と述べた。

 法王は「原子力エネルギーは多くのことに役立つが、人間は森羅万象と人類を破壊するために使った」と核兵器の開発・使用を批判。広島、長崎への原爆投下後、「人類は核問題について基本的な事柄も定められないでいる」と語り、国際社会の核軍縮への取り組みの遅れを憂慮した。聞くべき意見だと思う。

 ここで図らずも思い出したのが峠三吉の詩「人間を返せ」である。被爆の経験を持つのは日本人だけである。これほど人間を踏みにじった出来事はない。日本人しか発せない言葉である。「ちちをかえせ ははをかえせ/としよりをかえせ/こどもをかえせ/わたしをかえせ わたしにつながる/にんげんをかえせ/にんげんの にんげんのよのあるかぎり/くずれぬへいわをへいわをかえせ/くずれぬへいわをへいわをかえせ」

 峠三吉は昭和20年8月6日の朝、爆心地より3千メートルあまり離れた自宅を出ようとしたところ、被爆する。時に28歳。18歳の時、肺結核と診断されほとんど寝たきりの生活であった。病床で詩、短歌、俳句を作り、新聞・雑誌に投稿する。「原爆詩集」は昭和26年3月までにまとめ上げられる。28年3月36歳でこの世を去った。

 「人間を返せ」の詩は25年6月に始まった朝鮮戦争でマッカーサー元帥が原爆を使うかもしれないと新聞に報道された際、抗議の意味を含めてつくられたものだという。

 2001年9.11以来、今後の戦争は国対国のではなく、自由諸国対テログループだとされる。テログループ「アルカイダ」に次いで「イスラム国」が出現した。不満を持つ各国の若者がこのテログループに参加し、石油密売などによる豊富な資金力を背景に勢力を伸ばしている。もし彼らに核兵器が渡れば躊躇なく使うであろう。北朝鮮もまた核武装に狂奔している。この国も油断できない。峠三吉の危惧は今日の方が切迫している。ローマ法王の憂慮もうなずける。

 昨年12月17日の「銀座展望台」に次のように書いた。
「テログループはこんなことを平気でする。パキスタン北西部のペシャワルで16日、イスラム過激派の武装勢力タリバンが学校を襲撃し、生徒ら141人が死亡する。理由のいかんを問わず子供を標的にするのは人のなす業ではない。
世界を震撼させている「イスラム国」を放置しておくとどんなことをしでかすかわからない。『核兵器』を手に入れたら、情け容赦なく使用するであろう」

 日本の周辺国は「集団的自衛権」を容認し首相らが「靖国神社に参拝」すれば日本は軍国主義に走ると騒ぐ。戦後70年の日本の暦史を見よ。一度もどの国とも戦争をしていない。一人の戦死者も出していない。軍国主義とは「軍事がその国の政治、経済、社会の中で指導権を持っている体制を指す」。今の日本の自衛隊の地位は低い。むしろさげすまされている。もっと尊敬されてよい。東日本大震災における見事な救援状況を見れば理解できよう。

 昨年の総選挙で安倍晋三自民党は公明党とともに絶対安定多数の317議席以上を確保した。集団的自衛権の法整備し自衛隊を各国並みに格上げして国際協調の実を上げるようさらなる努力を望みたい。