堤哲君が「伝説の鉄道記者たち」―鉄道に物語を与えた人々―(交通新聞社新書・平成26年12月15日第1刷発行)で種村直樹君を取り上げている。種村君とは毎日新聞大阪社会部で一緒に仕事をした仲間である。14年間、毎日新聞を務めてレイルウェイ・ライターに変身した。在職のころから鉄道好きで、生まれた二人の娘さんに「ひかり」「こだま」とそれぞれ名前を付けたほどであった。確かに鐡道は面白い。昭和30年代、社会部で連載企画「日本の鉄道」で函館本線を取材した。「函館のコーヒーはうまい」という書き出しから函館本線を旭川までルポした。だが当時「事件」にとらわれていたので種村君のように鐡道には興味がいかなかった。種村記者を遊軍において好き勝手に取材させた方が会社にとって大きな財産になったはずである。毎日新聞にはそれだけ懐の深い上司がいなかったのであろう。おかげで国鉄は大きな財産を得た。
「レイルウェイ・ライター」。いいネーミングだ。日本に初めて登場した職業だ。これで種村君の前途がおおきく開けたといってよい。当時の国鉄総裁・磯崎叡が挨拶状の中で「種村君は、取材力、企画力、バイタリーティーの、いずれも抜群で、文章も軽妙だ。批判精神も旺盛で、私も再三いじめられたが、今は楽しい思い出である。100年の歴史を踏まえた、未来の鉄道を作り上げてゆく今、彼の力が是非必要だと思う」と述べたほどであった。
これから彼の獅子奮迅の働きが始まる。雑誌の連載コラムはもちろんのこと『時刻表の旅』(中央公論社)ほか著書多数を出す。明治学院大学の原武史さんは宮脇俊三、種村直樹、川島令三、嵐山光三郎の4人を鉄道趣味界の「四天王」と呼び、種村君について「ひたすら細かいデータをあげながら、マニアが喜びそうな情報を提供する」と記す。鉄道フアンの大学生を中心とする種村親衛隊「レイルウェイ・ライター友の会」も結成された。昭和54年8月30日国鉄盛線盛駅で国鉄全線2万1000キロ完乗の偉業を達成,盛駅で盛大な表彰を受けた。
好事魔多し。2000年11月クモ膜下出血で倒れる。そのご快復するも脳出血に襲われる。2014年11月6日、転移性癌で帰らぬ人となった。享年78歳であった。
葬儀(11月12日)の出棺の際、彼にふさわしく参会者200人が「高原列車は行く」(丘灯至夫作詞=毎日新聞出身=古関裕而作曲)を3番まで合唱してお別れをした。戒名は「宏鐡院旅遠直鑑居士」。ご冥福を祈る。
(柳 路夫)
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