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法律よ しばし口を閉ざせよ、尊厳死は神の領域
牧念人 悠々
米国はオレゴン州に住む29歳の女性が余命いくばくもないと知って尊厳死した(11月1日)。このニュースをテレビで見て、映画『終の信託』の「子守唄」を思い出した。
「とろとん、 とろりこ、とんとろり
とろとん、とろりと鳴る音は
ぼうやのお寝間にゃまだ来ぬか
来なけりゃ迎えにまいりましょう
海山越えて鬼が島
鬼の居ぬ国,ねんねん島」
短調で、もの悲しい調べ・・・家族に見守られておだやかに死んだと聞いて思い出したのであろう。この子守歌は映画『終の信託』(監督周防正行・2012年10月27日公開)で女医・折井綾乃(草刈民代)が末期の公害ぜんそく患者・江木泰三(役所広司)の死に際に聞かせた子守唄である。
日本では医者が薬で患者の死期を積極的に早める『安楽死』は殺人罪に問われかねない。その要件として1、堪えがたい肉体的苦痛、2、死期が迫っている、3、苦痛を除く手段が他にない、4、本人の明確なる指示が必要であるという。
現実の世界ではこの4つの要件を満たすのが難しい。「堪えがたい苦痛」は誰が判断するのか、患者の家族が「耐えがたい苦痛」とは思えなかったといえば医者の証言が崩れる。医療は日進月歩に進んでいる。今日助けられない命も明日には助けられるようになる。医者の「他に手段がなかった」という判断を下すのが極めて難しい時代になった。映画でも女医折井は殺人罪に問われた。医療現場の現実は末期のがん患者にはモルヒネの量を増やして死期を早めているではないか…と想像する。
女医折井が「子守唄」を歌ったのは江木のたっての頼みであった。折井はひそかに子守唄を練習した。この子守歌を終戦時、チチハルで3歳の妹がソ連軍の弾にあって死んだ際に母親が歌った。江木は言う。「眠りは死です。早く死が来るように、楽になれるように苦しみのない国に行けるようにと、親は願ったんだと思います」
江木、5歳の夏の出来事であった。
「ぼうやのお寝間にゃまだ来ぬか
来なけりゃむかえにまいりましょう」
「銀座展望台」(11月4日)に次のように書く。
「アメリカでは尊厳死を認めている州が5州ある。
オレゴン州では昨年までに750人以上が尊厳死している。750人という数字は決して少なくない。それにしても自分の死ぬ日を決めて『薬』を飲む勇気には感心する」
この子守歌は日本の何処で歌われたのか、当時、日本子守唄協会の西舘好子さんに聞いた。
「子守唄は九州一帯または島,・・・・軍艦島、喜界島、硫黄島あたりの歌です。鬼ヶ島が眠らす子どもの恐いところというあたりを唱っているうえに、その鬼が居ない、てのとどかないところ、ここなら大丈夫といっているのに海の向こうという現実が見える場所です。子どもの心には海の向こうは鬼が住むというあたりに謎があるようです」ということであった。
子守唄を歌えば楽に死ねるのか、それはわかるまい。だが江木は幼心にそう感じた。だから頼んで実行した。だとすれば、安楽死は患者と医者の取り決めでいいのではないか、法律の埒外にあるように思える。法律よ、しばし口をさしはさむなと、言いたくなる・・・
安楽死についていえば、私は少なくとも延命処置は拒否する。あとわずかな人生の余白を充実した日々にしたいと念願する。
「人知れず余白楽しむ冬の月」悠々
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