2014年(平成26年)11月10日号

No.626

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安全地帯(446)

湘南 次郎


余 聞


 茶説「郵便の父前島 密さん」、追悼録「武人柴田 繁君を偲ぶ」(10月T日号)を極めて興味を持って拝読しました。実は、牧念人氏、柳氏は上記柴田 繁君とともに老生の陸軍士官学校の同期生であり、多少補足のため、差し出がましく失礼ですが、上記の名文に色がつけば幸甚です。

前島 密(ひそか)氏について(茶説 牧念人 悠々氏)

 氏の墓所は三浦半島の横須賀市芦名の浄楽寺にある。晩年、寺の敷地内に「如々(じょじょ)山荘」という別荘を造り住んだという縁による。

 ちなみに、この寺には、文治2年(1186)北条時政が氏寺の伊豆韮山の願成就院に納めた奈良仏師「運慶」作の阿弥陀如来坐像、不動明王二童子立像、毘沙門天立像(いずれも平成25年国宝に指定)に対抗して、文治5年(1189)三浦氏の総帥和田 義盛が、「運慶」に作らせた阿弥陀三尊坐像、不動明王立像、毘沙門天立像が納めてある。これは、北条氏と三浦氏の対立を秘めているのをうかがうことができる証左で有名である。後年、和田合戦で北条側に義盛の三浦側は惨敗する。この国宝クラスの仏像は、春、秋二回特別拝観することが出来る。
 また、寺院西側の小高いところに前島 密氏が葬られている。


柴田 繁君について(追悼録 柳 路夫氏)

 戦後、米軍のレンジャー部隊の教育を受け、わが国の陸上自衛隊にその技術を導入したのは主として彼であった。

 偶然、小生の中学同期の親友で柔道家が防衛大学の体育主任教授をやっていたので、当時、防大体育教授だった柴田君のことを聞いたが、まさに文字通り態度厳正、武人の風格があり、しかも運動神経抜群の名教授であったと褒めていた。

 雪中行軍のことを生前、柴田君に直接聞く機会があり、彼の実施した八甲田山雪中行軍の初日の天候は、降雪でなく折悪しく氷雨であった。雪質はスキーにごく悪い「湿り雪」となり、外からは装具が、内からは汗でびしょぬれになり、だいぶ苦労したらしい。彼の手記には「歩兵第5連隊の無念を晴らすため、失敗はリーダーシップの欠如にあったのではなく、未曾有の天候の急変にあったのだということを証明したくなった。」とある。

 かつて小生が詣でた青森市幸畑(こうはた)の事件犠牲者の眠る陸軍墓地の一角には、雪中行軍記念の連隊長柴田 繁と記された白い木柱が立っていた。北側には生々しい往時を偲ぶ。遭難資料館もある。

 尺八の名手でもあり、自衛隊仲間でもその教えを受けたものも多く、退任後は悠々自適、住まいの「つくば」で尺八教室を開いていた。平成26年8月18日死去。好漢惜しむべし。

青森五連隊犠牲者の陸軍墓地 前島密の墓地 浄楽寺
          

撮影 安田新一さん