2014年(平成26年)11月10日号

No.626

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花ある風景(541)

 

並木 徹

 

映画『蜩の記』を見る 

 監督・小泉暁史・映画『蜩の記』を見る(7月20日・府中)。いい映画なのに観客100人足らず。黒沢組の記録係であった野上照代さんが「人生で良き師に巡り合えるほど幸せなことはない」と書く(プログラムより)。小泉監督の「雨あがる」「明日の遺言」も見ているが小泉監督ほど黒澤明監督に私淑した人はない。映画は丁寧に抒情豊かに仕上げられている。物語は主人公戸田秋谷(役所広司)と秋谷の監視役を命じられた檀野庄三郎(岡田准一)を中心に展開するがいつしか檀野は秋谷を師と仰ぐようになる。秋谷は側室と不義密通し小姓を切り捨てたというので10年の後の夏に切腹を命ぜられ、切腹の日までに藩の歴史である「家譜」の完成を義務付けられる。檀野の監視とは家譜編纂の内容と藩の秘め事を知る秋谷の逃亡の際は妻子ともども切り捨てることであった。檀野は秋谷と過ごしているうちに期日が決まっている切腹を前にして一日一日を大切にして家譜を執筆する秋谷に敬服する。この「死を待つ心構え」は90歳を間もなく迎える私には参考になる。「死」までに無為でも過ごせる。仕事を完成させ、後に残るものに己の志を伝えようとする主人公の姿は何とも清々しい。

 檀野はそれと同時に秋谷の不祥事に疑問を持つ。やがて檀野は不祥事の真相を知る。本妻の子と側室の子をめぐるお家騒動であった。幕府に知られればお家潰しになる、それを藩主から頼まれ秋谷の不義密通の不祥事として片づけられたのだ。秋谷は忠臣であった。武士道では「命はこれを以て主君に仕うべき手段なりと考えられ、しかしてその理想は名誉に置かれた。したがって武士の教育並びに訓練の全体はこれに基づいて行われたのである」という(新渡戸稲造著矢内原忠雄訳「武士道」)。

 映画は他にも彩りを添える。幼馴染の側室であった松吟尼(寺島しのぶ)と秋谷の対面のシーンもいい。心が通い合っている。かって同じ場所に住んでいて同じ風景を見ていた。同じ空気を吸っていたというのは他の人にはわからない男と女の微妙な心の交流がある。二人はそれを演じ切っていた。

 秋谷の妻織江(原田美枝子)も凛としていい。夫を信じ土地の娘さんたちに藺草織りをやって自分の居場所を見つけている。秋谷が切腹する短刀をそろえるシーンが出てくる。夫が死ぬための短刀を妻が用意するのはこれまで映画でももの本でもみたり読んだりしたこともないが妻の気持ちが十分すぎるほど表現されていた。久しぶりにいいえ画を見た。黒沢明監督は「映画は撮り方の技術ではない。登場する人物に魅力がなければ客は来ないよ」といったそうだが今の時代、登場する人物に魅力があっても観客はこなくなった。それだけ日本は”文化的体力”が落ちたということであろう。