2014年(平成26年)10月10日号

No.623

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追悼録(539)

服飾デザイナー植田いつ子さんを偲ぶ

 知人の女性からこのほど「面白い本よ」と、デザイナー植田いつ子著「布・ひと・出逢い」(主婦と生活社・平成7年2月28日・三冊発行)を渡された。中に走り書きがあった。「皇后陛下美智子さまの服飾デザイナーを36年務めました。ヨーロッパ生まれの洋服を伝統も身体も感性も異なる日本女性のものにするためにはどうしたらいいか、考え続け裁ち続けた85年の見事な生涯であったといわれる。2014年6月2日 没」とあった。

 本は確かに面白く一気に読み上げた。彼女もまた戦後を苦労して天職を見つけて立派に生き抜いた一人だと感じ入った。生前、植田さんには作家澤地久枝さんの紹介で2,3回お会いした。本にも澤地さんと向田邦子さんと植田さんを俳優の志村喬さんが三人姉妹と名付けたとある。澤地さんを知ったのは昭和45,6年頃だから植田さんのパーティなどに出るようなったのは昭和50年ごろか。この年「日本ファションエディターズクラブ賞」を受賞、翌年、美智子妃殿下のデザイナーを拝命する。もっと植田さんから直接話を聞いておけばよかったと思うが人見知りする私には無理というものだ。植田さんは台湾の飛行機事故で亡くなった向田さんとの思い出にかなりのスペースを割いている。女の友情も清々しい。

 面白いのは彼女が子供のころ絵には風景画でもいつも人を書き入れたという事だ。私も昔から写真には風景写真でも人入れろと言ってきた。新聞記事も第一人称で始めよと主張する。記事も人を語れば面白くなる。

 何と言っても先生に恵まれた。桑沢学院のデザイナー桑沢洋子さん、同じくジョージ・岡さんである。この二人が植田さんの潜在的才能を見抜いて伸ばして育てたといってよい。「女性をいかに美しく見せるか。どのような調和の感覚で、衣装を作り上げるか」この目的を忘れず、幾度かの挫折にも屈せずやり遂げた。

 植田さんは言う。「女性を凝視すると、向こうから寄ってきていろいろ教えてくれる」という。俳句の世界も同じである。ものをじっと観察すると、自然と言葉が浮かんでくる。そのうちその場に一番ふさわしい言葉が出てくる。

 植田さんは本の題名を『人に逢い、布に聴く日々』としたかったと言っている。「生涯ジャーナリスト」を目指す私は『人に逢い、言葉に聴く』ようにしたい。私より3歳年下の植田いつ子さん、享年85歳であった。心からご冥福をお祈りする。

(柳 路夫)