2014年(平成26年)10月10日号

No.623

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安全地帯(443)

信濃 太郎


こまつ座『きらめく星座』に感あり


 井上ひさし原作・栗山民也演出の『きらめく星座』を見る(10月2日・新宿紀伊国屋サザンシアター)。初演は昭和60年。今から29年前である。井上ひさしは小学校1年の夏(昭和15年)、薬や文房具やレコードを扱っていた母のところへ警防団の提灯を掲げた男が3人やってきて母親を非国民と怒鳴りつけてから店にあったジャズのレコードを次々に土間にたたきつけたという体験を持つ。その時の戦慄が「きらめく星座」を書かせた動機だという。

 時代は昭和15年(1940年)の秋深まるころから昭和16年の冬の初めまで。場所は浅草区西浅草(田島町)オデオン堂レコード店。舞台は昭和15年11月3日、明治節の夜で幕が上がり、昭和16年12月8日の前夜で幕を閉じる。戦時色が濃いころの話である。

 始めにされこうべに似た防毒面が登場する。このころの時代を暗示しその将来を予告する。このころの世相を見る。

 昭和15年11月1日「ダンスホール」が閉鎖される。ホールに出入する際には記名署名を求められた。大正末期開設のダンスホールは20年ほどの寿命であった。同じく11月、国民服の制定実施せられる。昭和16年1月「戦陣訓」が出る。4月、東京・大阪で米穀配給通帳制実施(大人一日に2合5勺)、5月煙草東京で一人一個売りとなる。10月、「ゾルゲ事件」が起きる。11月大学・専門学校の卒業は年繰り上がる・兵役法改正で丙種も招集される。標語は「八紘一宇」「新体制・臣道実践」「南進日本」「一億一心」「あの旗を撃て」などが叫ばれた。

 このころ新聞に掲載された広告文も戦時色が強い。「強い赤チャン御国の力」(宇津救命丸)「銃後の活動 先ず安眠」(西川布団)「銃後の務め 頭の防衛!さあノーシン」「戦ひは建設の母 進め新東亜建設の巨歩」(味の素)。井上ひさしは言葉を扱う発信側の責任と発信された言葉をどう受け止めるかという受信者側の責任を問う。この構図は今も変わらない。原発の是非、集団的自衛権の賛否、いつの時代でも庶民は問われる。

 舞台は長男が入隊した砲兵隊から脱走したことから一家の悲喜劇が展開される。この間、10曲の流行歌が流され、歌われる。時代は歌を生み、歌は人を慰め、育てる。「月光値千金」「きらめく星座」「愛国の花」「一杯のコーヒーから」「愛馬進軍歌』「小さい喫茶店」「チャイナタンゴ」「星めぐりの歌」「煙草屋の娘」「青空」。最後に店の女主人が歌った「青空」は絶唱であった。明日入営するという魚屋の店員と郵便配達の青年がレコードを聞かしてくれと尋ねてくる。あいにくレコードがないので女主人が歌う。

 「二人の青空 心の青空
 曇らず陰らず いつも晴れやか
 せまいながらも 楽しい我が家
 愛の光のあふるところ
 囀る小鳥も 嬉しや青空」

 歌が終わったころ大きな鐘がなる。それは大嵐が来る前兆のようであった。井上ひさしがこの世を去って4年、井上ひさしが言うように歴史を忘れず常に『なぜ』の疑問を持ち続けたい。