花ある風景(537)
並木 徹
書道展は我々に多くのものを教える
さる日、銀座で開かれた書道展に友人の高尾義彦君(日本新聞インキ社長)の書を見に行く(7月14日)。 蘇軾詩春夜抄とある。「春宵一刻値千金」からとった書である。値の字を分離して「直」の左に「有清香」。「イ」の左に「有陰」を配す(「花に清香有り月に陰有り」)。 なかなかしゃれた構図である(35x69)。野球で言えば直球よりも変化球好みである。
昔、書が分からなという私に著名な書道家が「あなたがいいと思った書が一番いいのだ」といい、「その書はバランスがよく、勢いがあり、余白が程よいはずだ」と説明してくれた。
高尾君のほか知っている友人たちの書もあった。
毎日新聞元主筆・岸井成格君は「無心」(27×24)。中庸を得たテレビ解説のようにおだやかな書であった。
毎日書道会元事務局長・寺田健一君は 「遠上寒山石徑斜(遠く寒山に上れば石の道ななめなり)白雲生処有人家(白雲生ずるところ人家あり) 停車坐愛楓林晩(車を停めてそぞろ愛す楓林の晩れ)霜葉紅於二月花(霜葉は二月の花より紅なり)杜牧の詩「山行」を書く(138×34.5)。豪快なゴルフのショットの如く男らしい字格であった。
それぞれの人柄がそのままに出た書であった。
意外にも上智大学名誉教授・渡部昇一さんの書(69×35)もあった。「将ラズ迎エズ応ジテ蔵ゼズ」(おくらず むかえず おうじて ぞうせず)。小さな字で「荘子長寿術」と書いてある。荘子の「応帝王編第七」の六章に出てくる言葉である。意味は「去るものは去らせ来るものは来させ、相手次第に応対して心にとめることがない」ということである。荘子は「だからこそ事物に対応してわが身を傷つけないでおられるのだ」と説く。達筆とは言い難いにしても辛辣な文明批評をする渡部さんならでの味のある書である。
俳句の書を探していると、松本佳さんの芭蕉の句に出あった(138×35)。「あらたふと青葉」と「若葉の日の光」の間に薄い文字で「芭蕉の句を」としたためる。書道にもこのような楽しみがあるのを知る。これは元禄2年(1689年)、芭蕉46歳の「奥の細道」での作である。
暉峻康隆さんはこの俳句を次のように説明する。「この句ははじめ『あらたふと木の下闇も日の光』と詠んだが、それではあんまり日光東照宮の威徳をたたえ過ぎと思ったのでしょう。あとでこの形に改めた。『日の光』は、日光の威徳をかけているのですが、これだと、青葉若葉に照り輝いている日の光を見るとまことに生命の尊さが感じられる、という詩情ゆたかな句になります」(暉峻康隆著「芭蕉の俳諧」下・中公新書)
書を書くのを楽しむ人たちは取り上げる漢詩、中国実存主義者の著書、俳句などの意味・背景などをよく調べ、その上でどのような書の形で表現すればよいのか熟考している。書道も奥深いと感じ入った。
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