2014年(平成26年)9月20日号

No.621

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花ある風景(536)

 

並木 徹

 

生誕200年・ミレー展をみる 

 画家ジャン・フランソワ・ミレーが生まれて今年で200年。それを記念して府中市美術館で「ミレー展」が開かれている(9月10日から10月23日まで)。展示作品85点。ミレーといえば“農民画家”。「春」「落穂拾い」「晩鐘」「種まく人」などが代表作にあげられる。美術館は歩いて15分のところ、喜んで初日に出かけた。予想通りかなり混雑していた。

 ミレーは初め肖像画から出発する。26歳の時、サロン展で肖像画が入選、肖像画家として身を立てる。翌年11月、婦人用品店の娘・ポーリーヌ・ヴィルジニー・オノと結婚。花嫁は20歳。その肖像画(1841年―1842年ごろ・油彩・カンヴァス・所蔵山梨県立美術館)はまだ幼さが残る少女の顔であった。困窮を極めたパリでの生活はポーリーヌの結核による死で幕を閉じる。シェプールヘ帰ったミレーはここで2度目の妻となる家政婦・カトリーヌ・ルメールと出会う。時にカトリーヌは17歳。夫との年の差は13歳も離れていた。「犬を抱いた少女」(1844年―1845年、油彩・カンヴァス)のそばに「カトリーヌ・ルメール」(1845年ごろ。油彩・カンヴァス)があった。その表情には生活者としてのたくましさが感じられる。1863年までに夫妻の間に9人の子供が生まれる。カトリーヌはミレーの作品の中で無名の女性としても登場する。「縫い物をする女」(油彩)は展示されていなかったように思うが、「裁縫する女」(1855年―1856年、エチング・紙)がそれであろう。その妻をミレーの祖母も母親も「身分違い」を理由に籍に入れるのを認めなかった。1849年6月パリにコレラが発生、近くの村パルビゾンへ避難,定住する。「農民画家」の誕生である。ミレーは農業を営む家に生まれている。2年前から農民を題材にして絵を描き始めている。「種をまく人」(1847年―48年、油彩・カンヴァス)「落ち穂拾い、夏」(1853年・油彩・カンヴァス・所蔵山梨県立美術館)の前は人盛りである。豊かな彩の中に働く3人の農婦。感じられるのは牧歌的な静謐。そのただずまいが感動を呼ぶ。それはかって別の美術展で見た「羊飼いの少女」(1863年―64年、油彩・カンヴァス・所蔵ルーブル美術館)と同じであった。

 そういえばカタログにもチラシにも扱われたのは「こどもたちに食事をあたえる女」(1860年ごろ、油彩・カンヴァス)にも言える。貧乏の気配はどこにもない。牧歌的で健康的である。この展覧会のサブタイトルは「愛しきものたちへのまなざし」であった。この「ミレー展」も3年前に亡くなった市内に住む芸術愛好家の遺産の寄付による。今の時代が求めているのは”愛のまなざし“かも