2014年(平成26年)7月10日号

No.614

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茶説

集団的自衛権は国を守るための権利だ

 牧念人 悠々

 日本人は集団的自衛権を誤解している。わかっていないといったほうが良い。戦争に巻き込まれるとか、教え子を再び戦場に送ることになるとか反対している。なかには海外で活躍するNGOの安全を脅かすとわけもわからないことを言う人までいる。

 一番理解しやすいのは「集団的自衛権容認」に賛成しているのは米国で反対しているのは中国であることだ。ありていに言えば反対者はみな中国に肩を持つものである。軍備を毎年増額し海洋利権を図っている国である。「日本が国を守るための権利であり、抑止力になる」といっているのに反対するのは中国の覇権主義を間接的に後押しすることになる。日本は中国と違って表現は自由である。「集団的自衛権用に反対」のデモも論説を認める。だがそれは大きな間違いであるのを指摘しておく。

 集団的自衛権という言葉は戦前にはなかった。戦後生まれである。国連憲章(1945年10月24日発効)51条には個別的自衛権と集団的自衛権を持つと明記されている。しかも固有の権利とある。国連自体、二度の悲惨な大戦の経験を踏まえて国際協調により戦争を防ぐために設けられたものだ。国連に加盟している日本が戦前のように軍国主義や好戦国になることはありえない。

 作家半藤利一は毎日新聞で「集団的自衛権とは他人のけんかを買って出る権利である」という。これは半藤の解釈である。間違っている。これでは国民に誤解をうむ。考えてみるがいい。日本は核武装もなければ、航空母艦もない。残念ながら他人のけんかを買って出る実力を持っていない。わずかにお手伝えをするに過ぎない。

 安倍晋三首相は「我が国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生し、これにより我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある場合に集団的自衛権が行使できる」とする。きわめて限定的である。集団的自衛権は権利である。義務ではない。行使するかしないかは政府の判断である。

 友人霜田昭治君が面白い資料を提示してくれた。1955年8月29日、30日、31日行われた重光葵外相と米国ダレス国務長官との会談である。独立国家として「自主外交」を目指していた重光外相はダレス長官に吉田茂首相が結んだ安保条約は不平等条約であり国民の独立心を傷つけるとした安保条約の改定を申し入れた。改定は時期尚早と断られたのだがこの交渉の中での会談が興味深い。この中の会談でダレスはもしグアムが攻撃されたら日本はアメリカを助けに来るかと質問した。重光はアメリカと相談するが、その上自衛のためなら軍隊の派遣も可能であるという趣旨の返答したのである。ダレスはそういう重光の憲法解釈が分からいとたしなめるように反論したというのである。アメリカ側の資料によれば「日本がもっと強くならなければ相互性の基盤はできないと付言、日本が適当な軍事力と十分な法的枠組み、改正された憲法を持てば状況は変わってくるであろうと評した」とある。重光はこの時「日本側の憲法解釈は自衛のための軍事力行使と、軍隊を海外に派兵すべきかどうかの協議も含むものである」と返答している(坂本一哉著「日米同盟の絆」有斐閣)。

 重光はダレス会談前にしてアリソン駐日大使に「安保改定のための具体的提案」を送っている。それには「安保改定の必要性を説き、自分も鳩山内閣も憲法9条があるからと言って相互義務を伴う集団的な安全保障の取り決めを結ぶことができないとは考えておらず日本はANZUS条約(米、豪、ニュージランド)のような条約を結ぶことができる」とあった。ANZUS条約では「各条約国は西太平洋地域における他の締約国の領域又は行政的管理下にある地域に対する武力攻撃が自国の平和及び安全を危うくするものであることを認め、自国の憲法上の手続きに従って共通の危険に対処することを宣言する」と規定されている。重要なのは重光が「現在のままの安全保障条約が続く限り日本は本当に独立した主権国家とみなされない」として米地上軍を6年以内に撤退させるプロセスを考えていたこである(前掲「日米同盟の絆」)。

 1955年といえば前年に自衛隊の総員が25万人になり防衛庁が設置されたばかりである。軍の根幹をなす幹部の養成機関・防衛大学ではまだ第1期生が修学中であった。しかも米軍軍事顧問団が親代わり的存在であった。海外派兵など夢の夢の話であった。それでも重光が自主独立を目指した志は高く買わねばならない。先見の明を評しても良いであろう。ダレスが「わからない」といった憲法解釈を安倍晋三首相が説く「集団的自衛権容認論」を重光が当時ダレスに説明すれば「わかった」と納得したかもしれない。

 問題はこれからである。国際協力のために安全保障の分野で日本がどれだけ同盟国アメリカと相互補完を図りながら世界に貢献できるかが問われる。戦争をするのではなく平和を築くために汗をかくということだ。覚悟がいる。