2014年(平成26年)7月10日号

No.614

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花ある風景(529)

 

並木 徹

 

江は碧にして鳥はいよいよ白く 

 つれづれがままに吉川幸次郎・三好達治の「新唐詩選」(岩波新書・昭和44年8月15日・35刷発行)をひもとく。杜甫(712−770)の五言絶句。これに吉川の解釈がつく。声を出して読む。

 「江は碧(みどり)にして鳥はいよいよ白く」
 西南中国の大きい川はみな江という言葉で呼ばれる。深緑の水面の上を飛ぶ鳥は目に沁みるように白い。

 現代風に言えば隅田川は緑にしてスカイツリーは、はるかに高いというところか。スカイツリーは上るものではなく隅田川から眺めるものだと思っている。

 「山は青くして花は燃えんと欲す」
 江にのぞむ山々はさみどりにして桃の花が赤く咲き誇る。

 霊峰・富士は世界遺産に登録され7月1日が山開きであった。これから登山客が花盛りとなる。

 「今(こ)の春も看(ま)のあたりに又過ぐ」
 今年もまた春は旅人の己をおきざりにして通りすぎてゆくのであろうか。

 季節の変化によって示される自然の推移、それと同じ時間の上にのって己の生命も推移してゆく。己の生命をも巻き込みつつ推移してゆく世界の推移・・・

 日本は「集団的自衛権容認」をめぐって大騒ぎ。賛成論者の私は少数意見で孤立感に襲われる。季節は己を置き去りにする。

 「何の日か是れ帰る年ぞ」

 杜甫は59歳で湖南省での船の中なくなるまで終生長安にもどることはなかった。私は38歳の時、大阪に飛ばされ(多いに楽しかった)、56歳の時には九州に行かされ7年半この土地ですごした。大阪、九州とも住めば都であった。東京に戻ったのは63歳の時であった。72歳まで東京で腕を十分に振るわせてくれた。深く上司や仲間たちに感謝する。

 このみじかい詩の底には、吉川が解釈するところの常に有力な、二つの感情のうち一つが流れている。その詩の一つ「天地の推移は悠久であるのに反し、人間の生命は有限である」という感情である。私がこの五言絶句にひきつかれるのはそのためであろう。
「われらを股肱とのたまひし」(陸士校歌)昭和天皇が逝去されて26年、同期入社の9人の友人がすべてなくなって3年。多くの同期生もなくなった。親しくしていた映画人、作家も相次いでこの世を去ってゆく。男ばかり7人もいた兄弟も4つ年下の弟のふたりだけになった。己の終着点も遥かながら水平線上に見え隠れしてきた。隅田川緑にしてスカイツリーいよいよ高し、今(こ)の春も看(ま)のあたりに又過ぐるか・・・