2014年(平成26年)6月10日号

No.611

銀座一丁目新聞

上へ
茶説
追悼録
花ある風景
競馬徒然草
安全地帯
いこいの広場
ファッションプラザ
山と私
銀座展望台(BLOG)
GINZA点描
銀座俳句道場
広告ニュース
バックナンバー

 

安全地帯(431)

湘南 次郎


知られていない鎌倉


○鎌倉は「ザリガニ」発祥の地

 市が出す「広報かまくら」(深沢 松沢優子氏)によれば、大船の岩瀬というところに昭和2年(1927)日本最初の食用ガエル養殖場が出来、アメリカより食用ガエルのえさとしてアメリカザリガニを持ち込んだそうだ。ところがコイツが近くを流れる砂押(すなおし)川に逃げ出して、繁殖力抜群、水さえあれば所選ばずどこまでも、遂に全国に広がったという不名誉な一件、お粗末でした。小生もゆでて食べたことがあるが、かたくてまずく、お勧めできない。田んぼでケツを挟まれるのが落ちだ。

○鎌倉は日本の「たいわんリス」繁殖原産地

 昭和26年(1951)江の島植物園から逃げ出したという説、住民がペットとしていたのが逃げたとの説。どっちでもいいが、とにかく鎌倉山をホームグランドに、爆発的に繁殖し、 観光客には愛想いいが、住民は迷惑だ。電線をかじる、木の皮を食べ丸裸にして枯れさせてしまう。ごみを食い散らし縁の下、天井に巣くうネズミと同じこともする厄介者だ。日本リスと違い尻尾が太く上に巻き上がってない品の悪さ。ドブねずみよりひとかさ大きい灰色で、ギャッギャと啼きながら枝から枝へ跳ぶ。今は、湘南地方に広がっている。

○伊勢海老が採れた
ザリガニとくらべては申し訳ないが、よく似た高級食材の伊勢海老が鎌倉沖で戦前は採れたようだ。もっとも、鎌倉海老ともいわれ珍重されたらしい。また、義経で有名な腰越漁港では、アマダイ、アジが神奈川随一の名品だったようで同じ品でも高値で取引したと漁協の組合長にお聞きしたことがある。「目に青葉、ヤマほととぎす、初ガツオ」。江戸っ子が「カカアを質(しち)に入れても食え」といった初ガツオも鎌倉沖を上物とし江戸に急送したと聞いたことがある。

○幕末つわものどもの夢のあと

 東の稲村ケ崎より七里ヶ浜の磯伝い西に対峙するのが小動(こゆるぎ)岬。すぐ南に江の島、 景観抜群の小岬だ。幕末徳川幕府は世情不穏の折から、「腰越村八王子山遠見番所」を設置し、黒船来航の監視哨とした。現在小動神社の近くに小屋を建て、江の島に対し、相模湾一望の絶好の見張り所とした。晴れた日は東に三浦、房総半島、西に伊豆半島、はるか南に噴煙たなびく伊豆大島が見える。ちなみに戦時中、稲村ケ崎とともに米軍の本土上陸予想地点として防御砲台を構築、今でも崖に砲眼が残っている。今、このたもとの腰越漁港は「しらす干し」で有名だが、ここでだけで食べられる「なましらす」は絶品。

○関東大震災のいたましい皇族犠牲者

 大正12年(1923)9月1日午前11時58分相模湾沖を震源とするマグニチュード
 の地震は鎌倉地方を直撃し、家屋全壊、山は崩落、火災発生、津波の直撃、死傷者続出の惨状を呈した。運悪く避暑に鎌倉に来られていた名士の方々の遭難も多かった。特に皇族としてお気の毒の犠牲者は、ご結婚2年目の山階(しな)宮武彦王妃佐紀子女王であった。ご滞在中の  鎌倉由比ヶ浜別邸が崩壊し、下敷きになり圧死された。女王はすでにご懐妊中でありご夫君のお悲しみはいかばかりだったろうか。ちなみに藤沢の鵠沼で東久邇宮師正王(6才)、小田原で閑院宮寛子女王(18才)が犠牲になられた。