2014年(平成26年)6月1日号

No.610

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茶説

集団的自衛権の見方・考え方

 牧念人 悠々

 集団的自衛権容認反対デモが起こり著名な作家が先頭に立つ。新聞の読者の声欄に反対意見のみが掲載される。戦後68年この国の人々は自分の国は自分で守るのを忘れ、「平和」と叫べば他国が自分の国を守ってくれると思っている。「治にいて乱を忘れず」「兵を養うは百年の計」の言葉が死語になった。集団的自衛権というとすぐに戦争と結びつける。おかしな日本になった。集団自衛権についてはどうしても横合いから口を出したくなる。

 たとえば、集団的自衛権を検討するうえで安倍晋三首相が自衛隊の「駆けつけ警護」についてパネルを使いながら説明した。「一緒に平和構築のために汗を流している他国の部隊から救助してもらいたいと連絡を受けても、日本の自衛隊は彼らを見捨てるしかない。これが現実なのです」。実にわかりやすい説明である。

 心理学者の香山リカさんは「好意の返報性」に注意として疑問を呈する(5月20日毎日新聞)。好意の返報性とは、親切にしてもらったら、お返しをしなければいけないという気持ちである。「お世話になったからお返しをする」というあまりにも日常的感覚で国の安全保障という重要な方針を決めてしまってよいのだろうかと香山リカさんは言う。また「日本を守ってくれるアメリカ軍が攻撃を受けたら今度は日本が助けるのは当たり前」などこの心理で考えようとする人が目につくとも指摘する。

 今回の問題で「好意の返報性」を持ちだすのはちょっと違うように思う。好意という範疇ではなく同じ目的を以て戦っている同志・仲間が救助を求めてきた場合である。今の憲法解釈では自分に敵が向かってこない限り手出しはできないことになっている。この事態は人倫の立場から見てもおかしい。仲間が強盗に遭って命の危険にさらされているのを見逃すのは人間として恥ずかしい事だし、まして助けを求めてきている。救援に向かうのが当り前であろう。

 集団的自衛権の憲法解釈変更問題に関連して作家半藤一利さんは『「解釈改憲」こそが私たちの「ノー・リターン・ポイント」だと?静かにうなずいた』(5月19日毎日新聞夕刊)。新聞の見出しは「今が引き返せぬ地点」とあった。

 集団的自衛権という言葉は戦後できた。戦後「解釈改憲」が初めて行われたのは昭和26年7月の警察予備隊の発足時である。装備は軍隊並みであるのを「警察予備隊」と呼んだ。この時こそ「ノー・リターン・ポイント」であった。この重要なポイントを識者は見逃している。さらに今の日本は太平洋戦争へと進んだ最初の転機である1931年(9月満州事変起きる)から1933年に重なるという。『日露戦争が「勝った勝った」と美談として語られるようになったのは1930年代に入ってからである。戦争を体験した世代が生きている限り、時計はそう速く進まない。しかし彼らが死んだ途端、時計は大急ぎで動き出す。今の安倍晋三政権もそう』という。今の時代が『満州事変のころと重なる』とんでもない事実誤認だ。いま日本がどこと戦争をしているというのか、あるいは戦争をしたがっているのか。そのような政権は日本にはない。戦後68年、戦争が美談として語られたことがあるのか。むしろ軍部は罵倒され、酷評されてきた。誰が戦争を美化しているのか。大東亜戦争の個々の戦いで立派に戦い戦死した将兵を取り上げるべきであるのにこのような記事を新聞で見たことがない。「戦争体験者」でも「解釈改憲」を妥当とする者もいる。「解釈改憲」でも平和を守れる。別に時計を速くすすめようなどとは思わない。むしろ否定するほど国をあやふくする。解釈改憲否定論者の言うことが中国や北朝鮮の言うことと同じだというのはいかがなものか。

 「かくばかりみにくき国になりたれ捧げし人のただに惜しまる」