「やまと歌は人の心を種として万の言の葉とぞなれりける」と「古今和歌集」にある。つまり心が歌の形になるというのである。「書は人なり」という。書を見ればその人柄が分かる。不思議ものである。人の心が書に現れる。文章も同じことが言える。「文も人なり」という。俳句を作りだしてから14年しかたたない。新聞社に入社間もなく先輩から「新聞文章には形容詞はいらない。具体的に短く書け」と教えられ、俳句を進められた。以来、俳句の書を読みだして60年近くなる。しかも俳句は新聞の見出しを5・7・5にまとめたものであろうと高をくくっていた。一向に俳句がうまくならないのは心貧しきせいであろう。
最も好きな俳句は横山白虹さんの
「ラガー等のそのかちうたにみじかけれ」である。
昭和9年大阪花園で行われた全日本対全豪州のラグビー試合を詠ったものである。白虹さん35歳の作である。35歳のころ私は警視庁記者クラブ詰め記者で事件にあけくれていた。
白虹さんにはラグビーを読んだ句に
「枯芝にいのるがごとく球据ゆる」もある。
俳号の白虹は「北原白秋」の白と川路柳虹の虹からつけたものと聞いた。
白虹さんに知己を得たのは毎日新聞西部本社の時である。事業部員の紹介で知り合い、月に一度、中国語交流会を開いた。私より26歳年上の白虹さんは悠々と落ちついて大人の風格があった。現代俳句協会会長、外科医、市会議員、市会議長など数々の職をこなされた。亡くなるまで2年余のつきあいであった(昭和58年11月死去、享年84歳)。白虹さんの4女寺井谷子さん(句誌『自鳴鐘』主宰・現代俳句協会副会長)には
「句碑にある秋日のぬくみ父のぬくみ」がある。
白虹さんが死ぬ前に
「月光を父の後ろに居て浴びる」を詠む。
「銀座俳句道場」をネットで開設、寺井谷子さんに添削・指導をお願いできたのも白虹さんのおかげである。
「産むというおそろしきこと青山河」(谷子)
俳句を作る“おそろしさ”も知らず『俳句道場』を10年も続けた。道は険しいが面白い。「秋灯かくも短き詩を愛し」(谷子)。白虹さん逝きて30年.ようやく「かくも短き詩」が好きになったようである。
(柳 路夫)
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