恒例の「みはた会」が開かれた(4月3日・東京市ヶ谷・アルカディア市ヶ谷)。会合は53回を数える。昭和20年7月佐倉で編成された歩兵321連隊の連隊長、後藤四郎さん(陸士41期・陸軍中佐)は平成17年1月97歳で亡くなられた。後藤さんは終戦時軍旗奉焼の命令を聞かず,軍旗を焼かなかった。日本陸軍でただ一つ残った歩兵の軍旗である。今、靖国神社遊就館のカラス額縁に入れられて保存されている。この連隊は広島市の東方20キロの原村演習場に駐屯、原爆が広島に落とされた際、主力を挙げた広島市に急行、その後一週間昼夜を分かたず救援活動に従事した連隊でもある。この日出席したのは12名であった。一時は100名以上も集まったこともある。
後藤さんと縁が出来たのは昭和54年12月「陸軍へんこつ隊長物語」(毎日新聞刊)を出版したからである。軍人らしくない軍人であった。その生き方も自由奔放であった。「人生はただ一度。そのただ一度の人生は、できるだけ明るく楽しく暮らせねば損である。体裁ぶらずありのまま暮らすのが私にとって何よりの若返りの方法である」というのがモットーであった。私は後藤さんから多くの事を教わった。今までも実行しているのは「一日一善」である。どのような些細なことでもよいから実行している。具体的な実行例を書いた小冊子をいただいた。「葬式に出くわしたので手を合わせた」「子供の頭を撫でてやった」などと事細かに列記してある。これは健康にもよいことである。
元21連隊の兵隊であった篠崎重雄さん(所沢在住)は佐倉で編成されたとき5日ほど畑仕事をやらされたのを記憶している。後藤さんから教わったのは「何事もあきらめずにやり続ける」ことだという。
伊室一義さんから道元禅師の言葉だという「体露金風」と記した紙をいただいた。「僧問雲門 樹凋葉落時如何 雲門云 体露金風」と注釈がついている。
自然体が一番良いということであろう。後藤さんの事を言っているのかもしれない。写真家でもある伊室さんは平成17年4月後藤さんを偲んで「写真で見る後藤四郎さんの軌跡」を出版されている。そう言えば後藤さんは一貫して「軍は慰安婦問題には関与していない」と言っていった。石松勝さんの話によれば自民党の国会議員に後藤さんの意見を送ったという。
この日司会を務めたのは及川光代さん。「東京大見物『はとバスガイド』の日記より」の著者でもある。学生運動の激しいころデモ隊に遭遇して「はとバス」が動けなくなった時「私たちも生活のために働いているのです」と叫んで突破した経験を持つ。協力会の長として自衛隊を応援している小山満之助さん(陸士60期)は防衛大学校の話をする。学生たちと話してみるととみな優秀でしっかりしているという。ゴルフ会の幹事を務めた梶川和男さん(陸士59期)が後藤さんとのゴルフの話をする。ともかくゴルフが好きであった。年間173ラウンドという記録を持つ。9日間連続プレーという記録もある。雨の日でもやる。「弾が飛んでくるわけではない。雨でぬれたぐらいで人間は死にはしない」とのたまう。後藤さんが亡くなった9年、来年も4月3日「みはた会」を開く。
(柳 路夫)
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