毎日新聞出身の政治評論家岩見隆夫君が亡くなった(1月18日)。享年78歳であった。毎日新聞は一面2段でその死を伝えた(1月19日付け)。しかも2面に専門編集委員・山田隆男の『評伝』をのせた。社長の死亡記事並みの破格の扱いである(岩見君の肩書・毎日新聞特別顧問)。彼との付き合いは50年に及ぶ。昭和38年8月、私が東京から大阪本社社会部デスクになった時、彼は入社5年目で、なかなかの書き手であった。大阪には優秀な人材が少なくなかった。東京に比べると多少時間的余裕があり勉強を怠らない記者たちがそれなりに励んでいたからだろうと思った。次に一緒に仕事をしたのは私が社会部長として指揮したロッキード事件(昭和51年)であった。彼は政治部のロッキード取材班のキャップであった。時に41歳。このころ政治部と社会部の風通しがあまり良くなかった。気心の知れた彼が来てくれたので万事スムースにいった。岩見君の政治情報は適確であった。ロ事件をつぶそうと「三木おろし」(当時・三木武夫首相)が起きた際、毎日新聞は1週間連続して社会面のトップを使って反対のキャンペンを展開したが、岩見班は協力してくれた。当時「毎日新聞を読めばロッキード事件がよくわかる」と評判になったのもその一因である。彼は当然、政治部長、編集局長を歴任しても良い人物であった。その器量を十分持ち合わせていた。何故ならなかったのか、当時の毎日新聞上層部の意向が働いたというほか言いようがない。彼の政治評論は面白かった。文章も上手であった。私は彼の「書き出し」が好きである。うまいと思う。
ある時期、有楽町の「今半」でそこのおかみも入れて毎月1回、昼食会を開いたことがある。彼の政治情報がとても参考になった。その席で彼は「私は女性を泣かせるようなことはしない」といったことがある。別れた奥さんには山付の大邸宅を贈ったという。また今の奥さんにも生活に困らないように配慮したと聞いた。稼ぐために大いにテレビに出演し、原稿書きに励んだ。肝臓がんは仕事のし過ぎというより酒豪ゆえであろう。
書棚に岩見君の本が何冊かある。とりわけ温故知新を主題とする「近聞遠見」から再読し彼を偲ぼうと思う。
(柳 路夫)
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