2014年(平成26年)1月10日号

No.597

銀座一丁目新聞

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追悼録(513)

「周平忌来る庄内の雪景色」 斉藤郁子

 1月26日は「周平忌」。墓は東京・八王子霊園にある。作家藤沢周平は平成9年1月26日に亡くなった。享年69歳。好きな作家の一人である。生前54句の俳句を残す。
 「大氷柱崩るる音す星明り」
 「聖書借り来し畑道や春の虹」
 「メーデーは過ぎて貧しきもの貧し」
 「十薬や病者ら聖書持ち集う」

 藤沢周平は昭和28年2月から昭和32年11月まで東村山市恩多町の篠田病院林間荘という結核療養所に入院した。入院早々俳句同好会に入る。俳句を一から勉強する。歳時記の存在も知らず、虚子編の「季寄せ」を買い込んだという。やがて静岡の俳誌「海阪」に投句を始める。俳誌「海阪」は蛇笏賞作家相生垣瓜人,同じく百合山羽公を師とする東海の一地方俳誌である。ここで早々に「夕雲や桐の花房咲きにほひ」の句が巻頭になる。

 藤沢作品の中に出てくる東北の小藩の名を「海阪藩」としたのは俳句が生んだ縁である。伝記小説に「一茶」という作品がある。一茶の俳句にほれ込んだのではなくて「アクの強い一茶の俗の部分」にひかれたようである。一茶は2万句も作った俳人だが弟から財産半分をむしり取った人間である。その俗臭ふんぷんたる所を暴く。それは己の醜い部分との対決でもある。作家の業である。

 作品では何故か「三屋清左衛門残日録」にひかれる。最後の言葉がいい。「衰えて死がおとずれるそのときは、おのれをそれまでいかしめたすべてのものに感謝をささげて生を終わればよい。しかしいよいよ死ぬるその時までは、人間はあたえられた命をいとしみ、力を尽くして生き抜かねばならぬ」

 私は2年前の10月ごろ、夢の中で漠然と死期が近づいたのを悟った。これからの生き方は感謝と謙虚であらねばならないと殊勝な考えになった。多くの友人が次々にあの世に行くからであろう。さらに夢の中で出てくる友人がすべて死んだ友人や後輩たちであるからでもある。

 2002年11月に公開された山田洋二監督の映画「たそがれ清兵衛」の宣伝文句に「私たちの心の中に『たそがれ清兵衛』がいる」とあったが今の私の心の中に「三屋清左衛門がいる」といってよい。

 

(柳 路夫)