2013年(平成25年)12月20日号

No.595

銀座一丁目新聞

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追悼録(511)

畏友平本一方君を偲ぶ

 年を取ると不義理をする。まことに申し訳ない。毎日新聞時代、ことあるごとに温かい配慮をしてくれた平本一方君が今年の6月10日死去したのを全く知らなかった。夫人の静子さんから新年の挨拶欠礼のはがきをいただいて初めて知った。

 当時の新聞には「平本一方氏(広済堂会長)6月10日死去、85歳。連絡先は同社総務部。お別れの会は7月23日正午から東京・帝国ホテル。喪主は妻、静子さん」と載った。新聞の死亡欄は見るように心掛けているがついつい忘れがちになってしまう。お別れの会も出なかったのだからまったくどうしようもない。

 昭和29年1月戦後最大といわれた「造船疑獄」事件が起きた。この事件は金融業・森脇将光の詐欺・特別背任事件に端を発している。社会部記者であった私は森脇将光の会社にほぼ日参した。なぜか他社は来なかった。その際、森脇社長の秘書をしていたのが平本一方君であった。東京日日新聞にいたこともあって平本君は私に何くれと便宜を図ってくれた。それ以来の付き合いである。彼の人脈は多彩であった。その後、昭和56年6月私が西部代表になった時、「販売の事を知りたいのだが誰か良い人はいないか」と相談すると、即売に詳しい人を紹介してくれた。

 スポニチ時代、2回ほどゴルフを一緒にした。今思うと、親友ではなかったが何かの時にものを頼める得難い友人であった。このような友人は彼一人だけである。こういう友達に支えられて今日の自分があるのを知る。心から平本一方君のご冥福をお祈りする。

 

(柳 路夫)