友人の西村博君からこのほど奥さんの玲子さんが亡くなったので新年の挨拶を欠礼するとのハガキをいただいた。亡くなったのは8月22日、大泉学園にある養護施設であった。享年85歳であった。このころ、西村君は首都圏代表幹事・全国大会実行副委員長として9月13日の全国大会の準備のために忙しいときであった。私たちは何も知らなかった。アルツハイマーで悩む奥さんの状態がよくないと聞いてはいた。まことに迂闊であった。
玲子さんは優れた俳人であった。西村君に頼まれてその作品を集めた句集「足跡」(藍書房・190ページ)出版のお手伝いをしたことがある(2006年12月10日)。当時、西村君から聞いた話だが、介護老人保健施設「ハートランド桶川」のベッドの上で出来たばかりの句集を手にした玲子さんは句集を胸に抱きかかえたという。句集が出版された際、玲子さんの事を本誌(2007年1月1日号「花ある風景」)で取り上げたことがある。追悼の意味でその記事を抄録する。
玲子さんが俳句の道に入ったのは昭和52年8月で、「濱」に入会する。初めは大野林火に師事し、林火亡き後は松崎鉄之介さんについて学ぶ。松崎さんが玲子さんの俳句に目を留めるのは昭和60年4月頃から6月にかけてである。
「嚔して怒る心の失せにけり」
「駈けたがる当年馬なだめ厩出し」
「豊漁も重さとならぬ白魚網」
松崎さんの批評。「西村さんも今年に入ってから注目される作品を多く見せてくれている。俳句の勘どころがようやく身についてきたように思える。前月の当年馬の句もまた嚔の句にもひとつのとらえどころをしっかりと持っている」
玲子さんの体調が悪くなったのは平成9年頃からで、平成13年5月にはアルツハイマーの初期の病状と診断された。西村君は玲子さんが判断できる間に自前の句集を出してやりたいと思いつく。「濱」を通じて句作を慶びとし、生き甲斐としてきた玲子さんの歩みの成果として本書の名も「足跡」とした。扉題字も西村君みずから墨書した。娘さんや孫もその整理を手伝った。
「旅の苞夫に何せむ父の日ぞ」
「風車回すに父の肩車」
「若き日の夫なつかしや終戦日」
「友の訃に夫熱燗を欲りにけり」
玲子さんが西村君を題材にした句がかなりある。私達仲間にはややぶっきらぼうに見える西村君だが、玲子さんは温かな眼差しで夫を観察する。それなりの思いやりと気配りをする。うらやましき限りである。心からご冥福をお祈りする。
(柳 路夫)
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