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読書の秋に思う
牧念人 悠々
読書の秋―とみに読書の量がへった。最近読んだ本といえば宇佐見寛著「黒糸縅のサムライたち」(原書房2010年1月発行)ぐらいか。友人の川井孝輔君から長文の読書感想文をいただいたので読んだ。この中で鳥巣建之助さんが特攻の若人の生き様についてアーノルド・トインビーの言葉と聖書を引用して述べているのに感銘した。トインビーは言う。「人間の生きる目的は、愛すること、英知を働かせること、そして創造することである。必要とあらば、これらの目的を達成するためには自らを犠牲にしなければならぬと考えます。価値あると考えた場合には犠牲もいとわない心が望ましいのです」また新約聖書ヨハネ伝第15章(13節)は「人がその友のために自分の命を捨てること、これより大きい愛はない」という。
いま、武田泰淳著「司馬遷―史記の世界―(講談社文庫・1994年9月30日第33刷発行)を読んでいる。尊敬する先輩岡本博さんから「座右の書」にしろといわれていただいた本である。ひまの時に読んでいる。そこに斉の歴史を記録する役人(太史という)が権力者に不利なことを書くと、殺されるがまたその太史の弟が同じことを書く、その弟が殺されると次の弟がまた同じことを書き、ついに権力者を諦めさせた話がある。3人の兄弟がつぎつぎと死を以て記録を守ったのは「記録」のきびしさを物語るものである。安倍政権が考えている「秘密保護法案」に何も動じることはない。果たして今の新聞記者に「死の覚悟」が出来ているのか。国民のためにならない国家機密を取材するのは容易なことではない。沖縄返還をめぐる機密漏えい事件をみても理解できよう。尋常な方法では国家機密を知ることはできない。国家機密を取材・報道した記者は「ひそかに情を通じ」の起訴状のため低俗なスキャンダルの主人公に落とされ一生を棒に振ってしまった。
「記録」は大切である。9月に自費出版した「人生の余白」―陸軍士官学校59期本科14中隊1区隊史―も昭和20年8月我々が解散する時に当時の生徒隊長・八野井宏大佐(陸士35期)がどのような別れの訓示を述べたかは後世に残すべき記録であると思う。
「書は古今の事績を載する器なり」(山鹿素行)
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