安全地帯(407)
−信濃 太郎−
秋場所 フアンもうなる『呼び戻し』
大相撲9月場所は横綱白鵬が14勝1敗で優勝して幕を閉じた。場所中テレビで「相撲」が秋の季語と知った。早速「俳諧歳時記」(秋)(新潮文庫)を引くと、「相撲は昔、旧暦7月宮中の節会に行われ、民間でも秋に行われことが多かったので秋の季題となっている」とあった。注釈としてこれは現在行われている相撲協会の相撲とは別である。現代の季題としては存在価値が薄くなっている」とある。
例句。
「負力士髻(もとどり)土に汚れけり」河東碧梧桐
「秋場所のテレビ見しのみ雨休み」 土生桂三
この秋場所8日目、白鵬は宝富士と対戦16年ぶりに大技「呼び戻し」で勝つ。別名「仏壇返し」ともいわれる。
「秋場所 フアンもうなる 呼び戻し」悠々
優勝した白鵬は「東京オリンピックの開催まで相撲を取るのが夢。父親がメキシコオリンッピクのレスリング(87キロ級)で銀メタルを獲得した」とオリンピックへの思いを語った。
ところで「宮中の節会(節会)に行われた」とはどういうことか「宮中歳時記」(入江相政編・TBSブリタニカ)で調べた。奈良時代、7月7日の七夕祭りの余興として天覧相撲が恒例であった。それが平安時代には「相撲節会」という独立の儀式に定められたという。現在優勝力士に与えられる「天皇賜杯」も当然ながら皇室と関係がある。大正14年4月29日、赤坂の東宮御所で皇太子同妃両殿下のご誕辰お祝い行事として相撲が開かれた際、東京大力士協会に金一封が贈られた。その賜金で作られた。賜杯は大正15年1月の初場所から優勝力士に授与された。第1回授与者は横綱常の花である。
この賜杯のおかげで東京と大阪に分裂していた協会が昭和2年に統一し大日本相撲協会となった。また土俵が相撲を面白くするため内径13尺から15尺になったのも昭和5年と6年に開かれた天覧相撲からだという。昭和天皇は昭和30年から年に一度国技館で相撲をご覧になられるようになった。昭和天皇の御製「久しくも見ざりし相撲ひとびとと手を叩きつつ見るがたのしき」が国技館に歌碑として建てられている。このように相撲と皇室とは古くから結びついて発展してきた。季語にもこのような歴史があるとは俳句も奥が深い。
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