2013年(平成25年)6月10日号

No.576

銀座一丁目新聞

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追悼録(492)

高野悦子さんを偲ぶ会

 

 岩波ホール総支配人高野悦子さんを偲ぶ会に出席した(3日・帝国ホテル)。友人の元文部大臣赤松良子さん、映画監督山田洋次さん、映画評論家佐藤忠男さんの弔辞の後、高野さんに韓国舞踊を教えた金梅子さんが「死者を送る舞」を手向けた。はじめて拝見した。感動的な舞いであった。悲しみのなか蓮の花とともに高野さんの霊を天へやすらかに送るという舞いと感じた。

 祭壇に飾られ高野さんの遺影をみながら、ふと「彩の国さいたま国際映画祭」での出来事を思い出した。1999年10月16日であった。さいたま芸術劇場で「伝説の舞姫 崔承喜−金梅子が追う民族の心」の上映前に高野さんが韓国舞踊・巫女の舞「サルプリ」と国民歌曲「鳳仙花」を踊った。まさに70の手習いであった。多くのものが高野さんが踊っているとは気が付かないほどであった。高野さんは韓国舞踊を通して韓国の人の心を知りたかったのであろう。この時、金梅子さんは40分の大作「日巫」を披露された。韓国舞踊もさりながら、藤原智子監督の「伝説の舞姫」の映画について、当時、韓国の作家で脚本家の韓雲史さんが「あなた方がこのような記録映画を作ったのは歴史的のことですよ。まだあなた方にはその重要性が分かっていないようですが」と発言している。崔承喜は戦後、夫の後を追い北朝鮮に帰国している。その後の安否はわからない。この映画はやがて日韓だけでなく日朝の厚い壁を打ち破る貴重な文化財の一つになるような気がする。名画の寿命は長い。「歴史の鏡」といってもよいかもしれない。

 生前に贈られた勲章・賞は外国をふくめて23を数える。岩波雄二郎さんに「正しいと思ったらなんでもやりなさい」と進められて45年。小さいホールに大きな花を咲かせて今年2月9日亡くなった。享年83歳。献花者700余人。それぞれに故人を偲んだ。
 「紫陽花や彼の人偲び今盛り」悠々

 


(柳 路夫)