花ある風景(494)
並木 徹
社内野球の想い出
小学生のころ野球の選手であったから野球が好きである。毎日新聞社会部でも社内の野球大会には参加していた。同人雑誌「ゆうLUCKペン」(第35集・平成25年2月発行)に堤哲君が次のように書いている。
「昭和24年5月24日付毎日新聞社報の1面に第6回社内野球大会の結果が詳報されている。社会部は準決勝で逓送部に10対14で逆転負けした。
2番ショートストップ牧内節男が活躍している。5打数3安打、3塁打1本。社会部の最若手、サツ回りだった.『子供のころから俊足で野球もうまかったんだ』。牧内さんに社報のコピーを見せるとうれしいそうであった。現存は87歳の牧内さん1人?」
この時の出場メンバーは5高石、6牧内、1・2遠藤、2・1若月、3三谷、9安永、8今井、7桜川、4鈴木・杉浦である。
このメンバーを見て気が付いた。若月(五郎)さんが警視庁記者クラブのキャップ、今井(太久弥)さんが副キャップである。昭和25年1月から抜擢されて私が察回りから警視庁記者クラブへ行く。当時、自分の仕事振りを認めてくれたのだと、うのぼれていたがそうではなく、野球の活躍から使いべりのしない男と思われたことを初めて覚る。野球大会から63年。人間はあくまでも謙虚であらねばならいという教訓である。
堤君の記事は続く。「社会部チームの準決勝進出をたたえる記事が社報に出ている。『社会部チームがここまでこぎつけるにはナミナミならぬ苦心が存する。定刻までに9人そろわず相手チームを怒らせたり仕事の都合で棄権したり。だが今回は多士済々、それに仕事のつらさも克服して順調に進んできた』『前夜は監督も相当コーフン。9人そろわぬ不安を除くために9人だけの帰宅を許さず、さらに“酒色厳禁“を厳命』とある」
よく昭和通りにあった会社の寮に泊まり、練馬の石神井にあった会社のグランドまでみんな揃って大会に出場した。その寮もグランドもすべて手放し今やない。
手元の毎日新聞社会部時代のアルバムに石神井グランドでとった社会部野球チームの写真がある。13人写っている。一番の年長者は私と安永君(道義)の二人だけである。なぜか私のみが「SHAKAIBU」のネームいりのユニホームを着ていない。その後、外信部、経済部、整理部へ異動した者もいるところを見ると昭和35,6年代である。
社報に掲載された「大会総評」には「大会の狙いである体位の向上と毎日一家の親睦を図るうえで大きな成果があった」とある。昔、会社は社員の体位・親睦を考えて経営をしていた。今や企業は押しなべて経営の利益と効率を求めて汲々としているように見える。時代が変わった現代、その是非は問うまい。ともにグラウンドで流した汗は心地よきもので明日へ力と結実したのは間違いない。
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